コラム

スペイン・ガリシアの実話を基にした映画『理想郷』:土地争いから始まった悲劇とは?

2023年11月02日(木)17時45分
映画『理想郷』

スペインを震撼させた実際の事件に基づく心理スリラー、『理想郷』

<1997年、スペイン・ガリシア地方の小さな村にオランダ人夫妻が移住。しかし、土地の利権を巡る対立が生まれ、失踪事件へと発展。この実際の事件を元に、ソロゴイェン監督が新たな物語を紡ぐ『理想郷』......>

現代のスペイン映画界で異彩を放つロドリゴ・ソロゴイェン監督の新作『理想郷』は、スペインのガリシア地方で実際に起こった事件に基づいている。

1997年にマーティンとマルゴというオランダ人夫妻がガリシア地方の小さな村サントアラに移住した。彼らは新しい土地に馴染んだかに見えたが、次第に土地の利権をめぐって隣人の兄弟と対立するようになる。隣人による嫌がらせがエスカレートし、2010年にはマーティンが失踪。その4年半後に彼の遺体が発見され、事件と裁判が大きな注目を集めることになった。

ソロゴイェン監督は、そんな事件をリアルに再現するのではなく、夫妻の名前や国籍を変えて、フィクションとして独自の世界を切り拓いている。

映画のストーリーと登場人物

本作の主人公は、アントワーヌとオルガというフランス人夫妻。彼らは有機栽培で育てた野菜を市場で販売し、村に点在する朽ちた古民家を修繕して観光客を呼び、過疎化が進む村を立て直そうと考えている。

しかし、彼らの隣人、畜産を営み、老いた母親と三人で暮らすシャンとロレンソの兄弟は、夫妻の計画を受け入れず、外国人である彼らに反感を持ち、嫌がらせをしかけてくる。アントワーヌは証拠を残すために隠し撮りを始めるが、それを知った兄弟は嫌がらせをエスカレートさせていく。

本作は二部で構成され、一部では夫のアントワーヌが、二部では残された妻マルゴが中心になる。ソロゴイェン監督は、そんな構成によって男性と女性の視点から事件を掘り下げていくが、独自の視点はそれだけではない。

ヨーロッパの文化的背景と言語

本作を観ながら筆者が思い出していたのは、前回取り上げたクリスティアン・ムンジウ監督の『ヨーロッパ新世紀』のことだ。どちらの作品も経済的に疲弊した辺境の村を舞台にしているが、単にそのコミュニティだけを描いているわけではない。歴史や伝統、経済なども含め、ヨーロッパのなかのトランシルヴァニア、そしてガリシアが強く意識されている。

『ヨーロッパ新世紀』では、ルーマニア語、ハンガリー語、ドイツ語、英語、フランス語などが飛び交う。本作では、主人公の夫妻はフランス語で、村人たちはガリシア語で会話し、両者がコミュニケーションをとるときにはスペイン語を使う。

『ヨーロッパ新世紀』では、クマを保護するフランスのNGOのメンバーに部屋を提供しているルーマニア人の村人が、そのフランス人にこんなことを語る。フランス人にとっては世界=西欧だろうが、ルーマニアはオスマン、ロシア、ハンガリーなど常に帝国の間で苦しみ、2千年にわたって西欧を守る壁になってきた。

本作では、隣人の兄シャンが、ナポレオンのスペイン侵攻に言及して、アントワーヌにこんな言いがかりをつける。「その昔、フランスはスペインを攻めた。俺たちを征服しに来たんだ。だが、失敗して帰っていった。俺たちを軽く見ていたらしい。ナポレオンはこう言ったんだ。"スペイン人はクソ野郎だ"。今でもフランス人はそう思ってるのか?」

また別の場面で、シャンは、村の出来の悪い若者が街に出て詐欺でも働けば、自分たちも悪者に見られ、しまいにはガリシア全体にも悪評がつく、というようなことを語ったかと思えば、アントワーヌの計画に対して、仮に外国人の移住者が来ても、自分たちの醜い姿を見れば一目散に逃げ返るとも語る。

ほとんど村を出たこともなく、結婚もできず、「ゴーストタウンのような村」で埋もれていくしかないシャンのなかには、ガリシア人としてのコンプレックスや誇りがせめぎ合っている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:闇に隠れるパイロットの精神疾患、操縦免許剥奪

ビジネス

ソフトバンクG、米デジタルインフラ投資企業「デジタ

ビジネス

ネットフリックスのワーナー買収、ハリウッドの労組が

ワールド

米、B型肝炎ワクチンの出生時接種推奨を撤回 ケネデ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」が追いつかなくなっている状態とは?
  • 2
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い国」はどこ?
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 6
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 7
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 8
    『羅生門』『七人の侍』『用心棒』――黒澤明はどれだ…
  • 9
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 10
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」が追いつかなくなっている状態とは?
  • 3
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺るがす「ブラックウィドウ」とは?
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 6
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 7
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 8
    【クイズ】アルコール依存症の人の割合が「最も高い…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story