コラム

フィリピンの鬼才がマゼランの世界周航を題材に歴史をひっくり返す『500年の航海』

2019年01月25日(金)15時00分

マゼランの世界周航の歴史を奴隷エンリケが塗り替える『500年の航海』(C)Kidlat Tahimik

<フィリピンの鬼才キドラット・タヒミックが、35年の歳月をかけて完成に漕ぎ着けた大長編>

フィリピン・ニューウェーブのゴッドファーザーとも呼ばれる映像作家キドラット・タヒミック。最新作『500年の航海』は、西欧による支配の歴史に自由奔放なイマジネーションで切り込み、独自の世界を切り拓いてきた彼が、35年の歳月をかけて完成に漕ぎ着けた大長編だ。

本作の題材は、マゼランによる最初の世界周航だが、主人公はマゼランではない。タヒミックは本作の出発点について、プレスに収められたインタビューで以下のように語っている。


 「最初に世界一周を果たしたのはマゼランではなく、彼に仕えた奴隷エンリケだったというアイデアがずっと念頭にあって、それをもとにして、必要なブロックを一篇ずつ積んでいったのが最初の10年間でした」

但し、それはタヒミックの独自のアイデアというわけではない。本作には、タヒミックがマゼランに関する多くの文献を参照していることを示唆する場面があるが、そのなかには、マゼランの友人で世界周航の記録者だったピガフェッタが残した「最初の世界周航」やツヴァイクの伝記小説『マゼラン』も含まれているはずだ。

マゼランは、世界一周の航海に出る以前、インドで軍務に就いている時代に、マラッカで奴隷のエンリケを買い、ヨーロッパに連れ帰った。そのエンリケは世界周航にも同行した。そして、船団がフィリピン諸島に到着したとき、エンリケは自分の言葉が通じる人々に出会った。ツヴァイクはその瞬間に注目し、以下のように綴っている。


 「数年前故郷から連れ去られた彼が、はじめてまた自分自身の言葉の断片を耳にしたのだ。記憶すべき忘れがたい瞬間、人類史上最大の瞬間の一つである。----地球が宇宙をまわりはじめてから、はじめて、一人の生きた人間が今地球を一周し、ふたたび故郷の地帯へ帰りついたのである。それがとるに足りない奴隷であったということはどうでもよい。----この場合、偉大さは人間ではなくて、その人間の運命にあったのだ」

そんなエンリケの運命で、もうひとつ重要な位置を占めているのが、マゼランの死だ。彼は遺書のなかで、自身の死後、エンリケを自由の身にすると約束していた。そんなマゼランは、フィリピンに留まっている間に、先住民の首長のひとりであるラプラプの抵抗に遭い、命を落とす。

その後、エンリケはどうなったか。彼を解放しようとしなかったマゼランの後継者に復讐しようとしたというエピソードが語り継がれるだけで、世界周航の物語からは消えてしまうので、その先のことはわからない。だから自由に想像することができるともいえる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

G7エネルギー相、石油備蓄の活用を原則支持

ワールド

済州航空機事故、所管当局の対応に問題 韓国監査院が

ビジネス

世界のM&A、2月は前年比2.3倍の5131億ドル

ワールド

ホルムズ海峡で貨物船に飛翔体、火災発生で乗組員避難
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのミュージカル入門
特集:教養としてのミュージカル入門
2026年3月17日号(3/10発売)

社会と時代を鮮烈に描き出すミュージカル。意外にポリティカルなエンタメの「魔力」を学ぶ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開された皇太子夫妻の写真が話題に
  • 4
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 5
    「このままよりはマシだ」――なぜイランで米軍の攻撃…
  • 6
    40年以上ぶり...イスラエル戦闘機「F-35I」が、イラ…
  • 7
    「一日中見てられる...」元プロゴルファー女性の「目…
  • 8
    人間ダンサーを連れて「圧巻のパフォーマンス」...こ…
  • 9
    ホルムズ海峡封鎖、石油危機より怖い「肥料ショック」
  • 10
    イランがドバイ国際空港にドローン攻撃...爆発の瞬間…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 3
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで続くのか
  • 4
    キャサリン皇太子妃、英連邦デー式典に出席...公開さ…
  • 5
    【長期戦はイラン有利】米側の体制転覆シナリオに暗…
  • 6
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
  • 7
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 8
    日本の保護者は自分と同じ「大卒」の教員に敬意を示…
  • 9
    中国はイランを見捨てた? イランの「同盟国」だっ…
  • 10
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 1
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 5
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story