コラム

ウォーターゲート報道にいたる分岐点 映画『ペンタゴン・ペーパーズ』

2018年03月29日(木)21時00分

では、タイムズとポストは実際にどれだけ違っていたのか。ここで、ベトナム戦争に対する両紙の取材態勢を確認しておいても無駄ではないだろう。タイムズは、65年にはすでにサイゴン支局に3人のきわめて優秀な記者を配置していた。そのひとりが、シーハンであり、彼はそこでダニエル・エルズバーグとも知り合っていた。

一方、ポストも記者を派遣していなかったわけではないが、影響力を持つ主筆がタカ派だったこともあり、ずっとベトナム戦争を支持してきた。戦争反対の姿勢を明確に打ち出したのは69年半ばのことで、東部の主要なマスコミ各社のなかで最も遅かった。ブラッドリーもベトナムには手をつけなかった。エルズバーグが機密文書をシーハンに託すのも当然だろう。

タイムズとポストがやっていることは、まったく次元が違っている

筆者は導入部のタイムズのエピソードが短いと書いたが、逆のこともいえる。そこには、ポイントになることが描き込まれているからだ。タイムズは、特別班を編成して、秘密が漏れないようにヒルトン・ホテルに部屋をとり、何週間もかけて機密文書を精査し、記事にまとめた。映画に描かれるのは、メッセンジャーがそのホテルで原稿を受け取り、編集局に向かって突っ走る場面だ。

さらに、ブラッドリーがシーハンの動向を探るというエピソードにも意味があるように思える。人材発掘に長けた彼は、問題提起や社会的責任よりもとにかく話題性を優先し、活気ある紙面を作ってきた。だから、ネタがなんであれ、先を越されるのが嫌でインターンにスパイさせる。その時点では、タイムズとポストがやっていることは、まったく次元が違っている。

そのため、そもそも機密文書を入手してもいないポストは、取材態勢や伝統や権威なども含めたタイムズとの途方もない落差を一気に縮めなければならなくなる。ポストの編集局次長のバグディキアンは、かつて働いていた研究所の同僚エルズバーグが内部告発者だと踏み、あちこち電話をかけまくり、ケンブリッジに飛ぶ。

彼が手に入れた機密文書のコピーは、秘密が漏れないようにブラッドリーの自宅に運ばれる。それから締切までの半日の間に、彼らは、タイムズが何週間もかけた作業をこなし、重大な決断を迫られる。

これがなければ、後のウォーターゲート事件の報道もできなかった...

この映画のラストに挿入されるあるエピソードは、その決断がどんな意味を持っていたのかを示唆する。『メディアの権力』によれば、ブラッドリーもグラハムも、後になって、ポストが超一流の新聞として独自の立場をとり、独自の決断を下したのはこの時がはじめてで、それがなければ、後のウォーターゲート事件の報道もできなかっただろうと考えるようになったという。

その決断があったから、ウォーターゲート事件で、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインがあのように動き回ることができた。そのバーンスタインは、ポストがまだただの新聞だった時代に、ベトナム特派員になりたいという要請を4回もしたが、すべて却下されていた。

この映画とアラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』(76)は前編と後編のような関係にあり、この映画にはそんな大きな物語の重要な分岐点が描き出されていることになる。

《参照/引用文献》
『メディアの権力――勃興と富と苦悶と(3)』デイビッド・ハルバースタム 筑紫哲也・斎田一路訳(サイマル出版会、1983年)


『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
公開:3月30日(金)全国ロードショー
©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国は戦時文書を「歪曲」、台湾に圧力と米国在台湾協

ビジネス

エヌビディアが独禁法違反、中国当局が指摘 調査継続

ビジネス

無秩序な価格競争抑制し旧式設備の秩序ある撤廃を、習

ワールド

米中閣僚協議2日目、TikTok巡り協議継続 安保
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 3
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人に共通する特徴とは?
  • 4
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 5
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    【動画あり】火星に古代生命が存在していた!? NAS…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story