コラム

世界屈指のドキュメンタリー監督が「次は金になる映画にする」と語った夜

2018年01月11日(木)21時08分

中国は世界2位の映画市場だが、アクションと爆発、CGだけ

中国のドキュメンタリー映画はきわめてハイクオリティだ。2015年に東京で開催された中国インディペンデント映画祭でも、私は素晴らしい作品の数々に圧倒された。

中国には無数の社会問題がある。それを人々に知らせるのは第一にジャーナリストの仕事なのだが、映画は言葉とは違った視角で、人々の感覚そのものを伝えられる強力なツールだ。正直な感想を言えば、日本よりもはるかにレベルが高い。自由の国・日本は何ひとつ気兼ねすることなくドキュメンタリーを作れるはずだが、優れた作品が少ないのはなぜだろうか。

中国の映画監督は次々と傑作を生み出してきた。しかし、どれだけ素晴らしい作品を残しても、中国のドキュメンタリー映画監督は貧困にあえいでいる。それは単に監督の貧困というだけではなく、中国映画文化の貧困をも意味している。

この10年というもの、中国の映画産業はすさまじい発展を遂げている。中国本土の映画市場規模はすでに世界2位、北米を抜いて世界一となるのも時間の問題だ。中国映画は次々と大ヒットし、興行収入記録を塗り替えている。

だが売れているのは、中身のないアクションと爆発、CGの映画だけだ。本当に人々の心に訴える映画は上映することすら許されない。

日本で評価の高いあの監督も、政府に尻尾を振ってしまった

映画芸術は文化の大きな柱だ。特にドキュメンタリー映画は、人々に社会問題を共有させる大きな力となる。中国はその力を封殺してしまった。

上映が許されるのは政府に尻尾を振った映画監督だけ。その代表が賈樟柯(ジャ・ジャンクー)だ。確かに彼の初期作品は、社会問題を鋭く突いた素晴らしい作品だった。その印象が強いため、いまだに日本でも高く評価されている。

賈はもう変わってしまった。「上海暖流文化」という企業を立ち上げ、商業映画のプロデュースに乗り出している。かつての名声で投資家を集め、ドキュメンタリー映画から商業映画へと華麗な転身に成功したのだ。

今の賈が手掛けた映画を見たいとは思わないが、その変節を責めるつもりはない。良心に従い清貧に生きよ、などと人に貧乏を強制するような悪趣味は私にはない。だから、于監督が「次の作品は金になる映画にするよ」と言った時も反対することはなかった。

問題は彼ら映画監督の変節ではない。ドキュメンタリー映画を受け入れない中国の体制にある。

かつてローマ帝国は市民に「パンとサーカス」を与えたと聞く。腹一杯になり、娯楽さえあれば、反乱を起こすことはないだろうという判断だ。今、中国共産党もそう考えているのかもしれない。少なくともバカみたいな映画、バカみたいなドラマが氾濫する中国の文化事情を見ると、そう勘ぐらざるを得ない。

だが、そんな薄っぺらい文化では真の繁栄は築けないだろう。乱痴気騒ぎではなく、本当の意味で内実備わった社会と文化をつくり上げることができるのか。

習近平総書記は「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げている。なるほど、素晴らしい言葉だ。この大目標を実現するためには――たとえ政府にとって目障りだったとしても――社会問題の真実を映し出し、本当の文化をつくり出すドキュメンタリー映画が欠かせないはずだ。





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プロフィール

李小牧(り・こまき)

新宿案内人
1960年、中国湖南省長沙市生まれ。バレエダンサー、文芸紙記者、貿易会社員などを経て、88年に私費留学生として来日。東京モード学園に通うかたわら新宿・歌舞伎町に魅せられ、「歌舞伎町案内人」として活動を始める。2002年、その体験をつづった『歌舞伎町案内人』(角川書店)がベストセラーとなり、以後、日中両国で著作活動を行う。2007年、故郷の味・湖南料理を提供するレストラン《湖南菜館》を歌舞伎町にオープン。2014年6月に日本への帰化を申請し、翌2015年2月、日本国籍を取得。同年4月の新宿区議会議員選挙に初出馬し、落選した。『歌舞伎町案内人365日』(朝日新聞出版)、『歌舞伎町案内人の恋』(河出書房新社)、『微博の衝撃』(共著、CCCメディアハウス)など著書多数。政界挑戦の経緯は、『元・中国人、日本で政治家をめざす』(CCCメディアハウス)にまとめた。

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