コラム

部族社会に逆戻りするアラブ世界

2015年12月24日(木)10時56分

2015年5月、イスラム国(IS)が公表したイラクのニナワ州のスンニ派部族がISに忠誠を誓う動画の1場面(ISが公表した動画より) YouTube

「血の復讐」と「血の代償」

 アラブ世界は先行きの見えない混乱の中にある。この状況で浮上しているキーワードは「部族」である。アラビア語では「アシーラ」または「カビーラ」という部族にあたる言葉を、新聞やテレビ、さらにはYouTubeで度々、目にし、耳にするようになった。

 アラブの部族はもともとアラブ民族が出てきたアラビア半島に発する。サウジアラビアではいまでも部族は大きな影響力を持つ。イラクやシリア、リビアでも部族は大きな役割を演じている。部族と聞いても、日本人には実感がわかないかもしれない。私はイラク戦争後にイラク人に「部族」とはどのような存在なのか、と質問したことがある。

 その答えとして彼は、「例えば、私が交通事故で誰かを死なせたとする。そんな時は、私の故郷の部族長のところに行って、自分が死なせた人間の部族との間で和解の話し合いをしてもらう」と、部族に頼る場合を挙げた。

 部族同士で話をして、「血の代償」の金額を決め、それを払えば、話がつく。そのような部族を通した和解の手続きをしなければ、「血の復讐」という部族の復讐のルールが働いて、被害者の部族または家族に命を狙われることになる。

「血の代償」の金額が決まれば、それを支払う部族は、部族の中で金集めをする。部族は地方を拠点にしているのが普通だが、首都バグダッドなどの都会に住んでいるイラク人も、困った時に頼るのは故郷の部族だという。ある意味で、保険のような役割を果たすといっていいだろう。

国家が強い時は、部族の役割は弱くなる

 この21世紀に、前近代的な響きを伴う「部族」が政治や社会の表に出てくるのは、異様に聞こえる。しかし、イラクではイラク戦争後、シリアでは内戦が始まって以後、特に部族が大きな影響力を持つようになっている。今夏、アルジャジーラ・テレビの討論番組で「イラクとシリアの紛争での部族カード」というテーマの特集番組があった。

 アルジャジーラの番組では、イラクのスンニ派の「イラク部族評議会」事務局長のヤヒヤ・サンボル氏が「部族は社会の土台であり、国家が分裂すると、人々は庇護を求めて部族に目を向ける。部族は血縁に基づいたものであり、部族独自の法と秩序を持ち、メンバーを守る役割を担う」と語った。

 さらに、「国家が強い時は、部族の役割は弱くなり、社会の秩序や公正は国の機関によって維持され、人々も国に頼るようになる。部族長の権威は象徴的なものとなる。しかし、国の法が公正を欠くようになれば、人々は部族の法に頼るようになる」と補足した。

シリア内戦で部族が果たした役割

 イラクでの2014年5月のイスラム国(IS)によるモスル陥落の際、シーア派主導政権に反発したスンニ派部族はISと共闘したことが知られている。モスルがあっけなく陥落した理由は、ISによる外からの攻撃だけでなく、イラク軍の足下、または背後から部族が反乱を起こしたためである。当時、私はスンニ派地域からクルド人自治区のアルビルに逃げていたスンニ派部族の幹部の話を聞いたが、「我々とISは、マリキ政権(当時)を共通の敵として戦っている」と語っていた。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏なら強制送還急拡大か、AI技術

ビジネス

アングル:ノンアル市場で「金メダル」、コロナビール

ビジネス

為替に関する既存のコミットメントを再確認=G20で

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型ハイテク株に買い戻し 利下
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ暗殺未遂
特集:トランプ暗殺未遂
2024年7月30日号(7/23発売)

前アメリカ大統領をかすめた銃弾が11月の大統領選挙と次の世界秩序に与えた衝撃

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理由【勉強法】
  • 2
    BTS・BLACKPINK不在でK-POPは冬の時代へ? アルバム販売が失速、株価半落の大手事務所も
  • 3
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子どもの楽しい遊びアイデア5選
  • 4
    キャサリン妃の「目が泳ぐ」...ジル・バイデン大統領…
  • 5
    地球上の点で発生したCO2が、束になり成長して気象に…
  • 6
    カマラ・ハリスがトランプにとって手ごわい敵である5…
  • 7
    トランプ再選で円高は進むか?
  • 8
    拡散中のハリス副大統領「ぎこちないスピーチ映像」…
  • 9
    中国の「オーバーツーリズム」は桁違い...「万里の長…
  • 10
    「轟く爆音」と立ち上る黒煙...ロシア大規模製油所に…
  • 1
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラニアにキス「避けられる」瞬間 直前には手を取り合う姿も
  • 2
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを入れてしまった母親の後悔 「息子は毎晩お風呂で...」
  • 3
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」、今も生きている可能性
  • 4
    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…
  • 5
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理…
  • 6
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子…
  • 7
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 8
    「失った戦車は3000台超」ロシアの戦車枯渇、旧ソ連…
  • 9
    「宇宙で最もひどい場所」はここ
  • 10
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 5
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラ…
  • 6
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 7
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを…
  • 8
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」…
  • 9
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 10
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story