コラム

ティエリに捧げる(複雑な)愛の物語

2010年07月21日(水)15時45分

 信頼し、尊敬していた人にがっかりさせられた経験はないだろうか。とても嫌な気分になるものだけれど、僕は昨年末にそれを味わった。ところが先週、その人物に汚名返上の最後のチャンス(と僕には思える)が与えられたというニュースが飛び込んできた。

 才能といえば、ボールを蹴ること----そんな人物への「愛」を語るなんて、どうかしていると思えるかもしれない。それでも僕は僕なりに、ティエリ・アンリを愛していた。

 このフランス代表のサッカー選手を僕が好きな理由は、まず何よりも、彼が最高にサッカーがうまいから。もちろん、彼があのワクワクするようなプレーを見せてくれるのがアーセナル以外のチームだとしたら、話は違っていたと思う。僕は子供時代からアーセナルのファンなのだ。

 99年から07年までの8年間、彼は間違いなくイングランドで最も刺激的な選手だった。出場する試合では毎回、必ず息をのむようなプレーを見せてくれた。ある時は、単なるちょっとしたパスで。またある時は、にっくきマンチェスター・ユナイテッドを相手に立て続けに鮮やかなゴールを決め、1人で試合をひっくり返すこともあった。

 ティエリがいたために僕はスカパーに入らざるをえなくなり、彼のゲームを毎回心待ちにせざるをえなくなった。職場の同僚にこう言ったことがある。「仕事でひどいストレスを抱えていても、最悪な1週間を過ごしたとしても、週末にティエリ・アンリがプレーすれば全てを埋め合わせてくれるんだ」と。

■W杯欧州予選の衝撃的なハンド

 彼の存在はそれ以上だった。ティエリはジェントルマンとスポーツマンの精神を体現しているかのようだった。ゴールを決めた時は喜びを爆発させるが、相手チームの選手をばかにしたことは1度もない。ファウルをすることはまれだが、やってしまったときは恥じ入っているように見えた。

 インタビューでは控え目で、いつでもチームメイトや監督を称え、穏やかな口調で話に筋が通っていて......愛すべき人物だった。

 それが昨年11月に、ティエリは卑劣な行為をやってのけた。僕にとってはまるで、彼に背中を突き刺されたかのような感じだった。

 2010年ワールドカップ(W杯)欧州予選で、出場権をめぐってフランスとアイルランドがプレーオフ第2戦を戦っていたときのことだ。ゲームは1−0でアイルランドがリードしていたが、第1戦をフランスが1−0で制していたので延長戦に。だがそのまま決着がつかず、試合はPK戦に突入すると思われた。
 
 その時ティエリははっきりと、故意にズルをした。ボールがライン外に出るのを止める時と、さらにそのボールをコントロールする時、2回も手を使ったのだ。そのハンドの後にパスを出し、フランスの同点ゴールをアシスト。フランスは本大会出場を決め、アイルランドは憤りを胸に帰国した。

 醜くて気が滅入るような瞬間だった。かつてのティエリはズルをする必要はなかった。魔法のようなプレーをやってのけ、試合に勝つことが出来た。かつてのティエリはズルをすることなど考えてもいなかったはずだ。しかしどんな選手にも年齢が重くのしかかる時がくる。32歳のティエリも、かつてのティエリではない。

■アメリカのチームで再出発

 うれしいことに、彼がMLS(米メジャーリーグサッカー)のニューヨーク・レッドブルズと契約したという記事を読んだ。アーセナルとバルセロナという世界屈指のクラブチームで最高のプレーを見せた選手にとって、これはある意味、都落ちだ。だけど同時に名誉挽回のチャンスでもある。

 率直に言ってバルセロナにいるかぎり、ティエリが重用されることはなさそうだった。彼を欲しがる名門クラブはもうないだろう。それでもニューヨークでなら、最後のチャンスに輝きを残せるかもしれない。結局のところ、アメリカは多くの人々が再出発を目指してやってくる土地だ。

 アメリカのMLSのレベルはなかなかのもので今も成長中だ。それでもヨーロッパのスーパースターなら、たとえ引退間近の選手でも強烈なインパクトを与えられることだろう。もちろん、真剣にプレーすることが大前提だし、自分が「出場するだけで」ファンが沸くなどと高をくくってはいけない。

 僕は心の底から願っている。せめて1シーズンだけでも、ティエリには往年の動きを見せてほしい。彼の栄光に満ちたキャリアの最後を飾るプレーが、W杯のヨーロッパ出場枠から小国をはじきだすためのズルだったなんて、あまりにおぞまし過ぎるから。


プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ノーベル生理学・医学賞、マイクロRNA発見のアンブ

ワールド

駐米ロシア大使、任期満了し帰国 後任指名するとクレ

ワールド

ヒズボラ、イスラエル第3の都市に初のミサイル攻撃 

ビジネス

賃上げ「継続必要」の認識広がる、消費も下支え=日銀
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大谷の偉業
特集:大谷の偉業
2024年10月 8日号(10/ 1発売)

ドジャース地区優勝と初の「50-50」を達成した大谷翔平をアメリカはどう見たか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    キャサリン妃がこれまでに着用を許された、4つのティアラが織りなす「感傷的な物語」
  • 2
    借金と少子高齢化と買い控え......「デフレ三重苦」の中国が世界から見捨てられる
  • 3
    2匹の巨大ヘビが激しく闘う様子を撮影...意外な「決闘」方法に「現実はこう」「想像と違う」の声
  • 4
    新NISAで人気「オルカン」の、実は高いリスク。投資…
  • 5
    キャサリン妃も着用したティアラをソフィー妃も...「…
  • 6
    「核兵器を除く世界最強の爆弾」 ハルキウ州での「巨…
  • 7
    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…
  • 8
    常勝軍団の家族秘話...大谷翔平のチームメイトたちが…
  • 9
    羽生結弦がいま「能登に伝えたい」思い...被災地支援…
  • 10
    もう「あの頃」に戻れない? 英ウィリアム皇太子とヘ…
  • 1
    ベッツが語る大谷翔平の素顔「ショウは普通の男」「自由がないのは気の毒」「野球は超人的」
  • 2
    ウクライナに供与したF16がまた墜落?活躍する姿はどこに
  • 3
    キャサリン妃がこれまでに着用を許された、4つのティアラが織りなす「感傷的な物語」
  • 4
    借金と少子高齢化と買い控え......「デフレ三重苦」…
  • 5
    アラスカ上空でロシア軍機がF16の後方死角からパッシ…
  • 6
    ウクライナ軍、ドローンに続く「新兵器」と期待する…
  • 7
    【独占インタビュー】ロバーツ監督が目撃、大谷翔平…
  • 8
    大谷翔平と愛犬デコピンのバッテリーに球場は大歓声…
  • 9
    NewJeansミンジが涙目 夢をかなえた彼女を待ってい…
  • 10
    羽生結弦がいま「能登に伝えたい」思い...被災地支援…
  • 1
    「LINE交換」 を断りたいときに何と答えますか? 銀座のママが説くスマートな断り方
  • 2
    ベッツが語る大谷翔平の素顔「ショウは普通の男」「自由がないのは気の毒」「野球は超人的」
  • 3
    「まるで別人」「ボンドの面影ゼロ」ダニエル・クレイグの新髪型が賛否両論...イメチェンの理由は?
  • 4
    「もはや手に負えない」「こんなに早く成長するとは.…
  • 5
    ウクライナに供与したF16がまた墜落?活躍する姿はど…
  • 6
    漫画、アニメの「次」のコンテンツは中国もうらやむ…
  • 7
    ウクライナ軍、ドローンに続く「新兵器」と期待する…
  • 8
    北朝鮮、泣き叫ぶ女子高生の悲嘆...残酷すぎる「緩慢…
  • 9
    エコ意識が高過ぎ?...キャサリン妃の「予想外ファッ…
  • 10
    キャサリン妃の「外交ファッション」は圧倒的存在感.…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story