コラム

パンナム機爆破犯釈放の「真実」

2009年08月31日(月)18時41分

 07年、ロンドン・レビュー・オブ・ブックス誌は「不都合な事実」と題した記事を掲載した。88年にスコットランド上空で発生した米パンナム機爆破テロ事件の被告アブデル・バセト・アリ・アルメグラヒへの有罪判決と、それに対する上訴に関するものだ。

 ヒュー・マイルズが書いた同記事によれば、判決が下された当時すでに疑問を投げかける声がいくつもあったという。さらに、アルメグラヒによる上訴(健康上の理由で8月20日に釈放されることになったため取り下げられた)も、認められる可能性があったと書かれている。


 法律家、政治家、外交官、事件の被害者の親族は現在、このリビアの元情報部員は無実だと考えている。エディンバラ大学名誉教授(スコットランド法)であるロバート・ブラック勅撰弁護士は、アルメグラヒが裁かれたオランダの特別法廷の設置に関わった一人。テロ発生当初から事態の進展を詳細に追っていたブラックは、公正を期すため00年に陪審員なしの裁判を考案した。

 裁判の前からブラックは、アルメグラヒの犯行を裏づける証拠は十分なものではないと強く確信していた。「有罪判決を出すのは不可能だ」という発言記録も残っている。現在でも彼は、次のように話している。

「今でも、私は絶対に間違っていないと確信している。普通なら、こんな疑わしい証言で有罪判決を下したりはしない。実に恥ずべき行為で、強い憤りを感じる」


 こうした見方を考慮すると、20日にアルメグラヒが末期癌を理由に釈放されたことに激しい怒りを燃やすのは考え直すべきかもしれない。リビアのムアンマル・アル・カダフィ大佐が9月にニューヨークで開かれる国連総会へ出席することについても、憤る前にもう一度考える必要があるだろう。

 ロンドン・レビュー誌のブログでは、8月26日にグレン・ニューイーが思慮には欠けるものの鋭い指摘をしている。今回のアルメグラヒの釈放と上訴の取り下げは、政治的に関わる者すべてにとって最良のものだっただろうと論じている。


 有罪判決をめぐって公開法廷で議論するのは、誰の得にもならないことだった。だからアルメグラヒの末期の前立腺癌は、彼を早急に釈放するうえで、この上ない幸運だった。

「温情」の名の下に受刑者を釈放することで、スコットランド国民党政権は国際的なイメージアップ、またはイメージ作りを図ることができた。イギリス政府もスコットランドの自治権を盾に、リビアとの良好な関係を維持し、同国とのビジネス上のつながりを守ることができる。

 一方、冷戦時代的な駆け引きのなかで、ロシアより先にリビアに近づく必要にも迫られている。最近になってロシアが、リビア東部の港町ベンガジに海軍基地を作ろうと画策しているからだ。オバマ政権にすら、リビアに文句を言えない理由があるわけだ。受刑者の病を天からの贈り物と考えた人がいたとしても不思議ではない。


 もちろん、こうした事情は被害者の家族にとっては何の慰めにもならない。しかし舞台裏で起きているかもしれないことの説明としては、非常に説得力がある。

 もちろん、癌の診断書を当局が偽造したという可能性は低いし、スコットランドから旅立つ際に撮影されたアルメグラヒは健康には見えなかった。だが本当のところは誰にも分からない。リビアに帰ったとたん、奇跡的に回復する可能性だってなくはない。

──マイケル・ウィルカーソン

[米国東部時間2009年08月28日(金)11時52分更新]


Reprinted with permission from "FP Passport", 31/8/2009. © 2009 by Washingtonpost.Newsweek Interactive, LLC.

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国際政治学者サミュエル・ハンチントンらによって1970年に創刊された『フォーリン・ポリシー』は、国際政治、経済、思想を扱うアメリカの外交専門誌。発行元は、ワシントン・ポスト・ニューズウィーク・インタラクティブ傘下のスレート・グループ。『PASSPORT:外交エディター24時』は、ワシントンの編集部が手がける同誌オンライン版のオリジナル・ブログ。

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