コラム

アルジェリア人質事件「真に安全を確保するために」

2013年02月22日(金)09時45分

 2月21日、経済同友会が外務省に提言を提出した。テーマは、アフリカ。これまでNGOやボランティアの活動の場というイメージからすれば、アフリカが財界の提言対象になるのには、意外な感があるだろう。だが、アフリカ諸国の資源、成長する経済がますます重視される一方で、近年中国がアフリカに急速な勢いで進出。提言で指摘しているように、アフリカは「援助先ではなく投資対象」として、日本企業の関心が高まっているわけだ。

 この提言が目を引いたのは、まず先般のアルジェリアでの人質事件を踏まえているということ、そして海外で活動する日本人の安全確保に「人材育成が必要」としていることだ。人材育成のために留学生や研修生をどんどん受け入れたり、日本から専門家を派遣すべき、と述べている。アルジェリア事件を受けて「危険=テロ=自衛隊に任せろ」的議論が蔓延しがちななか、思わず「正論」に拍手した。海外での安全確保は、軍事力よりもまず、相手を知り、自分を知らせることだからである。

 海外進出する日本人が、現地で危険情報を察知し安全を確保するには、まず何が必要か。それは秘密に塗りたくられたスパイ行動でも、武器を頼りの軍事情報ではない。現地社会の発信する日常的な公開情報である。現地の新聞、ニュース、週刊誌や芸能番組まで、今そこで何が起きているかを理解する術は、スパイや軍人じゃなくても普通に入手できる。インターネットを見れば、現地の人々がどのような議論をし、何を不満に思っているか、さまざまに発信されている。

 欧米諸国の情報処理能力がすごいのは、優秀なスパイと優秀な軍人がいるからではない(逆にトホホな人々は、相当多い)。こうした大量の公開情報を収集し、自国語つまり英語に翻訳しているからだ。BBCは、普通にニュースを伝える一方で、こうした現地報道、新聞の翻訳を、世界中にデータベースとして提供している。苦労して大金払って秘密情報を得たところ、BBCの翻訳情報だったりすることは、よくある。

 日本の弱さは、現地で外交官や武官がちゃんと情報を得ていないことではない。東京で、誰でも手に入る現地情報を地道に収集して翻訳し、分析するシステムができていないことだ。

 同友会の言う「人材育成」も、然りである。欧米の強みは、欧米で高等教育を受け、学位を取り、その学歴に誇りを持つエリートが途上国のいたるところに居ることだ。筆者の学生時代、エジプトから博士号を取得するために日本に8年も留学していた友人がいたが、その後カイロ大学の教授職についたものの、エジプトのエリートはアメリカかイギリス、そうでなければフランスの大学出身の学閥で占められていて、出世できないと嘆いていたことがある。理系学生の受け入れは技術者養成には必要だが、文系エリートの育成に日本が関わらなければ、国のエリート層に食い込み、政策決定レベルで知日家を作ることはできない。

 だが、現在の留学生受け入れや学術交流は、お寒い限りである。自前で留学生に奨学金を出す大学は限られているし、民間財団の奨学金も先進国対象が多い。アフリカや中東からの留学生の大半は、文科省の国費奨学金を受けるしかないが、「日本のことを勉強したい」という理由を掲げないと通りにくいと思われている。日本の大学が優れているからテーマに関わりなく日本で勉強したい、という学生が、育ちにくい環境にある。夢溢れて留学しながら、日本に絶望して帰国するという、留学生政策が逆効果になっていることも多い。

 近年は「日本人を国際化するために、大学生に英語で授業をせよ」、といった要請ばかり強まっているが、日本語はできないけど日本の大学で学びたい、といった途上国の学生を教育する準備は、ほとんどできていない。

「中東やアフリカに派遣させるために何も知らない自衛隊を教育しなくっちゃ」ではなく、「日本のことだけではなく全般にわたって中東やアフリカの人々の人材育成をしなくっちゃ」という発想こそが、海外で働く日本人の安全を守る。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米中外相会談、ロシア支援に米懸念表明 マイナス要因

ビジネス

米PCE価格指数、3月前月比+0.3%・前年比+2

ワールド

ベトナム国会議長、「違反行為」で辞任 国家主席解任

ビジネス

ANAHD、今期18%の営業減益予想 売上高は過去
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 5

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 6

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 7

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 8

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story