コラム

イギリスは燃えているか

2011年08月16日(火)16時26分

 私のなかの英国は、クラッシュ(London Calling)やセックス・ピストルズ(Anarchy in the UK)などのパンクとかモッズ、あるいはジョン・オズボーン(「怒りをこめて振り返れ」)とかアラン・シリトー(「土曜の夜と日曜日の朝」)などの「怒れる若者たち」なので、8月はじめからイギリス中を席捲している暴動は、それほど意外ではない。映画でいえば、「マイ・ビューティフル・ランドレット」(ダニエル・ディ・ルイス!)なので、移民の第二、第三世代と白人貧困層が置かれた問題にも、そんなにびっくりしない。なんといっても、マルクスがその資本主義社会を見て「資本論」を書いたのが、英国である。

 そうはいっても、今回の連日の暴動は深刻かつ要注目である。80年代の人種暴動と同種視する報道もあるが、暴動発生の引き金となったアフリカ/カリブ系市民への誤射事件を除けば、暴動を起こしている側も被害にあっている側も、はっきりとエスニック対立で争点が分かれているわけではない。数年前にフランスで問題視されたような、イスラーム系移民の暴動とも違う。昨今の経済悪化、それに対する政府の無策が槍玉に挙げられていることは確かだが、暴れているのは中産階級の若者でもあるので、マルクスが切実に感じ取った階級対立が噴出しているというのでも、ない。フーリガン的伝統はあっても、略奪や焼き討ちが土曜の夜の昔からの伝統だったわけではない。これはいったい、何なのだろう?

 ヨーロッパ全体の経済悪化、EUの失敗、多文化主義の失敗が近年ことさらに指摘される。そうした諸矛盾が、社会のマージナルな部分に位置する移民や若者に集約されて噴出する。7月のノルウェーでのテロ事件はもとより、近年ヨーロッパ全体での極右の台頭、反移民を掲げる保守派の政治舞台での主流化を見れば、単なる一国の社会現象として軽視すべきではない。今、ヨーロッパ中の社会学者、政治学者、文化人類学者が、この問題をどう分析すべきか、一斉に頭を働かせていることだろう。

 むろん、第二次大戦以降経済的理由に植民地政策の遺産が加わって、中東、アジア諸国の旧植民地からの大量の労働力を求めてきた仏、英、独など、移民受け入れ経験の長い国と、ノルウェーのように(経済的理由もあるが)多元主義の理念から移民との共存を追及してきた難民受け入れ国を、一緒に議論することはできない。またヨーロッパでのさまざまな反移民感情の噴出を、政治問題として捉えるか、社会問題と考えるか、犯罪なのか文明対立なのか、はたまた行き過ぎたサブカルとみなすべきなのか、単純に一通りの解決策を探すべきではない。事件後即座に、わかりやすくとっときやすい十把一絡げな解説があまり出てこないところを見ると、いろいろな要素が絡んだ深刻な問題だからこそ、各分野の専門家たちは結論を急がず、あくまでも分析に慎重なのだろう。

 そう考えると、十年前の米国同時多発テロ事件に対する「対テロ戦争」という、即座のとっつきやすい回答が、どれだけ短絡的だったかがよくわかる。あのとき政治家と学者と報道者が、個別に十分に慎重な対応をとっていれば、その後の展開はどうだったか、と改めて考える。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

G20首脳会議が開幕、米国抜きで首脳宣言採択 トラ

ワールド

アングル:富の世襲続くイタリア、低い相続税が「特権

ワールド

アングル:石炭依存の東南アジア、長期電力購入契約が

ワールド

中国、高市首相の台湾発言撤回要求 国連総長に書簡
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 5
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 6
    「裸同然」と批判も...レギンス注意でジム退館処分、…
  • 7
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 8
    Spotifyからも削除...「今年の一曲」と大絶賛の楽曲…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story