コラム

『立ち直る力』と80年代NYのアッコちゃん

2009年05月20日(水)12時51分

 それは痛々しいメディア・サーカスだった。

 先々週から先週にかけて、エリザベス・エドワーズ(59歳)が自著『Resilience(立ち直る力)』の宣伝のため、テレビのトークショー、ワイドショー、ニュースショーに出演しまくり、全米の書店をめぐるサイン会ツアーに出かけた。

 彼女の夫ジョン・エドワーズ元上院議員(55歳)は、2004年の民主党副大統領候補、2008年の大統領予備選では、オバマ、ヒラリーに続いて3番手につけていた。しかし、途中でレースを降りた。

 彼の選挙宣伝用ビデオの女性プロデューサー(当時44歳)を妊娠させたと報じられたからだ。スッパ抜いたのは『ナショナル・エンクワイラー』というタブロイド紙で、最初は誰も信じなかったが、『エンクワイラー』は二人の逢瀬の撮影に成功、エドワーズは関係を認めた。

 エドワーズは「ケネディの再来」と言われるハンサムな政治家の一人だった(他にも沢山いるから)。日焼けした顔に真っ白い歯が並ぶ笑顔。しかしケネディと違って愛妻家として知られていたので、この不倫事件はショッキングだった。そしてエリザベス夫人に誰もが心から同情した。彼女の人生は不幸の連続だったからだ。

 エリザベスとジョンの間の長男ウェイドは1996年、16歳で交通事故死した。その悲しみを乗り越え、エリザベスは48歳で女の子、50歳で男の子を生み、高齢出産を恐れる人々に希望を与えた。さらに2004年、乳ガンで入院。長い闘病生活の果てにそれを克服した。しかし、07年、肺や肋骨や大腿骨にガンが再発見され、確実に近づく死を前にして大統領予備選を戦うことになったのだ。

「妻がガンに苦しんでいる最中に浮気していたのか!」

 エリザベスはセレブなヒラリーやミシェル・オバマと違って、本当に庶民的な女性だった。スタイルもファッションも化粧も、彼女の住むノース・カロライナの普通のお母さんそのもので垢抜けない、いや、実に親しみやすかった。世間の同情は彼女に集まった。

 ところが、だんだんと世間にいくつかの疑問が湧き上がっていった。

 もし、エドワーズが予備選に勝っていたら? 隠し子のことが途中でバレて、共和党のマケインが大統領になっていただろう。いや、選挙に勝って大統領になってから隠し子がバレたら? クリントン時代のモニカ・ルインスキー事件以上に共和党は激しく攻撃し、政局は混迷するだろう。アメリカが未曾有の危機に直面しているこの非常時に! そんな重大事を隠したまま大統領選挙を戦おうとしたのか? あまりに無責任ではないか?
 
 なによりも、モニカ・ルインスキー事件の時と同じ疑問がある。奥さんはどうして離婚しないのか?
『立ち直る力』に、夫の不義を知ったとき思わず「嘔吐した」と書いたエリザベスは、ガンに鞭打って著書のプロモーションを展開し、吐き気のする体験を何度も語り直した。インタビュアーたちは「なぜ離婚しないのか?」という疑問を彼女にぶつけた。

「結婚式で、For better or for worse(良いときも悪いときも)、添い遂げると誓ったからです」

 5月11日、NBCテレビの朝のワイドショー「トゥデイ」で彼女はそう説明した。

「こんな事態までは覚悟してませんでしたけど」

 エリザベスはエドワーズは生涯のパートナーだと語った。しかし、心の傷はあまりに大きい。『立ち直る力』ではエドワーズのことをしばしば「子供たちの父親」と書いている。「私の夫」ではなく。彼女の出版とテレビ出演はやはり夫への復讐なのかもしれない。

 さて、『立ち直る力』には不倫相手の女性について名前の表記がなく、ただ「Pathetic(憐れ)な女」としか書いていない。

 彼女、リエル・ハンターはエリザベスと正反対の女性だ。

 ひとことでいえば、林真理子の『アッコちゃんの時代』のアッコちゃんに似た、80年代バブルのミューズだったのだ。

 コカインとクラビングの80年代ニューヨークを描いたら右に出るものがない作家ジェイ・マキナニーの小説『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』(89年 新潮社刊)のヒロイン、アリスン・プールはリエル・ハンターがモデルだったのだ。

 アリスンは20歳の女優志願。マンハッタンのいちばんとがった人々と行きずりのセックスとドラッグを楽しむ。

「だいたいね、どうしてセックスを感情とすぐ結びつけなきゃいけないの? そんなの変だ。セックスなんて、夜になって、ただ肌と肌をこすりっこするだけの話じゃない?」(宮本美智子訳)

 マキナニーはリエル・ハンターと実際につきあっていたという。リエルはNYのナイト・シーンでは知らない者のいない存在だったらしい。別の作家ブレット・イーストン・エリスが同じく80年代バブルを描いた小説『アメリカン・サイコ』にもアリスン・プールが登場する。「プラチナ・メンバーのクレジット・カードがあればアリスンにフェラしてもらえるよ」と揶揄されるのだが。

 80年代バブルが弾けた後、リエル・ハンターは裕福な弁護士と結婚し、ビバリーヒルズに移り住んだ。そして夫の資金援助で夢だった女優の道を目指し始めた。自分で脚本を書き、プロデュースし、主演して、芝居や自主映画を製作した。彼女は女優にはなれず、離婚したが、その後もビデオ製作会社を続けた。

 そして2006年、NYのバーで、大統領予備選に出馬するエドワーズと出会ったのだ。

「You are hot(あなたってイケてるわ)と言って彼女は私の夫を誘ったのよ。夫の話によればね」

 エリザベス・エドワーズはお昼のワイドショー「オプラ」で語ったが、司会のオプラ・ウィンフリーから「今どき、そんなダサいこと言わないと思うわよ!」と突っ込まれていた。

 リエルはエドワーズに大統領予備選のためにYouTubeで流す宣伝ビデオを製作した。たった2分半のビデオ4本で、彼の選挙事務所から支払われた製作費はなんと約1500万円。選挙資金の不正使用の疑いがあると現在調査が進んでいる。2008年2月、リエルは赤ん坊を出産した。

 リエルは本当にエドワーズを愛し、彼が大統領になることを望んでいたのだろうか? ならば結果は最悪に終わってしまった。リエルの赤ん坊は、欲望に勝てずに自滅したダメな元政治家の私生児になってしまった。エドワーズはリエルとの関係は認めたが離婚しないし、リエルの赤ん坊を認知はしていないので、彼女は今のところ養育費を受け取っていない。たとえDNA鑑定でエドワーズが父だと認定されても、リエルは逆にエリザベスから慰謝料を請求されるかもしれない。関係者すべての人生は破壊されてしまったのだ。


 リエル・ハンター、いや、アリスン・プールの刹那的な行動の理由を、マキナニーは『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』で彼女の少女時代のトラウマに求めている。アリスンは、かつて真剣に乗馬選手を目指す純粋な少女だったが、17歳の頃に愛馬が突然死ぬ。実は保険金を騙し取るために、父が馬に保険をかけて毒殺したのだ。それを知ってからアリスンは人生に希望を抱かない人間に変わってしまった。これは実際にリエルに起こったことだ。馬は毒殺ではなく感電死させられ、父は保険金詐欺で逮捕される前に病死したが。


 すべては、いずれリエルの自叙伝で明らかになるだろう。すでに出版社が殺到しているに違いない。それが『立ち直る力』の24万部より売れるかどうかわからないが。

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

高市首相23日解散表明、投開票2月8日 与党過半数

ワールド

トランプ氏のグリーンランド関税、貿易戦争再燃の懸念

ワールド

英首相、グリーンランド巡り冷静な協議呼びかけ トラ

ワールド

藤田・維新共同代表、飲食料品の消費減税「強く賛同」
MAGAZINE
特集:総力特集 ベネズエラ攻撃
特集:総力特集 ベネズエラ攻撃
2026年1月20日号(1/14発売)

深夜の精密攻撃でマドゥロ大統領拘束に成功したトランプ米大統領の本当の狙いは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中国のインフラ建設にインドが反発、ヒマラヤ奥地で国境問題が再燃
  • 2
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰に地政学リスク、その圧倒的な強みとは?
  • 3
    DNAが「全て」ではなかった...親の「後天的な特徴」も子に受け継がれ、体質や発症リスクに影響 群馬大グループが発表
  • 4
    AIがついに人類に「牙をむいた」...中国系組織の「サ…
  • 5
    シャーロット英王女、「カリスマ的な貫禄」を見せつ…
  • 6
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 7
    「リラックス」は体を壊す...ケガを防ぐ「しなやかな…
  • 8
    上野公園「トイレ騒動」に見る、日本のトイレが「世…
  • 9
    中国ネトウヨが「盗賊」と呼んだ大英博物館に感謝し…
  • 10
    【総選挙予測:自民は圧勝せず】立憲・公明連合は投…
  • 1
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率が低い」のはどこ?
  • 2
    上野公園「トイレ騒動」に見る、日本のトイレが「世界一危険」な理由
  • 3
    世界初で日本独自、南鳥島沖で始まるレアアース泥試掘の重要性 日本発の希少資源採取技術は他にも
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    正気を失った?──トランプ、エプスタイン疑惑につい…
  • 6
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 7
    母親が発見した「指先の謎の痣」が、1歳児の命を救っ…
  • 8
    「高額すぎる...」ポケモンとレゴのコラボ商品に広が…
  • 9
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 10
    ピラミッドよりも昔なのに...湖底で見つかった古代の…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 8
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 9
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 10
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story