コラム

村上春樹さんと一緒に原子力について考えてみた

2015年04月23日(木)15時30分

 村上春樹さんといえば有名な作家で、ノーベル賞候補にもあげられてますね。私はデビュー作「風の歌を聴け」が『群像』に掲載されたときから読んでいたファンですが、このごろは読むのをやめました。小説が妙にじじ臭くなって、昔のような軽やかさがなくなったからです。

 エッセイもジャズの話なんかは読みますが、社会的な発言はいただけない。最近ちょっと話題になっている「村上さんにおりいって質問・相談したいこと」というウェブサイトの「原発NO!に疑問を持っています」という質問への答には、うんざりしました。「アジアンタム」という人はこんな風に質問しています。


親友を亡くしたり自分自身もけがをしたり他人にさせたりした車社会のほうが、身に迫る危険性でいえばよっぽどあります。(年間コンスタントに事故で5000人近くが亡くなっているわけですし)。文明と書かれたおもちゃ箱の様な物の中から、一つ原発を取り出して「これはNO!」と声高に叫ぶことが果たしてどこまでフェアなのかがよくわからないのです。


 これに対して、村上さんは「福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います」と答えていますが、これは答になっていない。アジアンタムさんは年間の死者について質問しているのに、あなたは避難者の数と比較しています。

 同じ死者で比べたら、福島で放射能で死んだ人はゼロです(今後も出るとは考えられない)。まさか村上さんが死者と避難者を読み違えたとは思えないので、原発事故の被害のほうがはるかに少ないことをごまかそうとしたのでしょう。あなたはこう答えています。


もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。


 これは「もしあなたの家族が突然、交通事故で亡くなったらどうしますか?...」と書くこともできますね。交通事故は「国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題」なので、警察庁も対策に取り組んでいます。原発事故は「基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います」とあなたは書いていますが、交通事故の死者は戦後の累計で60万人を超えました。世界の原発事故の1万倍です。桁が違いますね。

 あなたは交通事故との比較は「政府や電力会社の息のかかった『御用学者』あるいは『御用文化人』の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです」と書いていますが、なぜ比べるべきではないのでしょうか。「自動車に乗るかどうかは自分で選べる」という人がいますが、自動車にひかれるかどうかは選べません。

 交通事故は発電とは違うというかも知れないが、石炭火力による大気汚染や炭鉱事故で、世界で毎年約100万人が死亡し、地球温暖化への影響も心配されています。村上さんのように原発をいやがる人が多いので、日本の電力会社は石炭火力の新設していますが、それによって確実に環境は悪化し、人的被害は増えます。

 要するに「原発事故は特別な国家の基幹にかかわる問題で、交通事故みたいなありふれた話とは比べられない」という村上さんの話こそ「論理のすり替え」なのです。マスコミの誇大な報道で錯覚しているだけかもしれないが、こんな会話が小説に出てきたらぶち壊しです。あなたが作家として、人間の感性を理解していないことを示しているからです。

 いずれにしても、あなたがよく知らない政治的な問題について、海外まで行って大作家ぶってコメントするのは、かつてファンだった者として残念です。もうあなたの小説を読むことはないと思いますが。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪経済、生産能力なお逼迫と中銀副総裁 利下げ余地限

ワールド

台湾、孤立せず友人増えてる 欧州から帰着の蕭副総統

ワールド

トランプ氏、食肉記録的高値で司法省に加工業者の調査

ワールド

クシュナー氏、イスラエル首相とガザ停戦巡り協議へ=
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 2
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一撃」は、キケの一言から生まれた
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 5
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 6
    レイ・ダリオが語る「米国経済の危険な構造」:生産…
  • 7
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 8
    「非人間的な人形」...数十回の整形手術を公表し、「…
  • 9
    「爆発の瞬間、炎の中に消えた」...UPS機墜落映像が…
  • 10
    「豊尻」施術を無資格で行っていた「お尻レディ」に1…
  • 1
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 2
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 6
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 7
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 8
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 9
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 10
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story