コラム

食塩には甘味も隠されている? 「塩化物イオン」の役割と塩の味にまつわる多様な研究

2023年03月28日(火)13時00分
塩トマト

塩は体内に取り込まれるとナトリウムイオンと塩化物イオンになる(写真はイメージです) GCShutter-iStock

<塩が甘く感じられるのは、食塩に含まれる「塩化物イオン」が口内の甘味受容体に作用しているから。岡山大・山下敦子教授らの研究チームが発見>

塩(塩化ナトリウム)は、料理に味付けをしたり、塩漬けにして保存食を作ったりすることで、私たちの「食」に大きな役割を果たしています。

ヒトの味覚は、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5種の基本味(五味)を感じ取ります。このうち塩味は、塩の構成成分のナトリウムイオンが口内の味細胞にある塩味の受容体に結合することで知覚されていることが、これまでの研究で解明されています。一方、塩のもう一つの構成成分である塩化物イオンがどのように味覚に関わっているのかは、よく分かっていませんでした。

また、塩の謎として、「極めて薄い塩水は甘みを感じさせる」ことが以前から知られています。塩味で心地よく感じる濃度は味噌汁と同じくらいの0.8~1%の濃度の塩水とされていますが、その10~20分の1ほどの濃度では、塩水なのに甘く感じるのです。この事実は約60年前から知られていましたが、理由は未解明でした。

今回、岡山大学学術研究院の山下敦子教授らの研究チームは、メダカやマウスを用いた実験で、塩の「塩化物イオン」が口内の甘味受容体に作用して「甘み」を感じさせていることを発見しました。研究成果は、「塩化物イオンの役割」と「塩味を甘く感じる謎」の2つの未解決問題に対して、一気に答えを与える快挙と言えます。詳細は、2月28日付の米生命科学誌『eLife』に掲載されました。

塩は、体内に取り込まれるとナトリウムイオンと塩化物イオンになって、前者は体内の水分調整、筋肉の収縮、神経の情報伝達、栄養素の吸収などを担い、後者は胃酸の元になって消化や殺菌などに役立つ、なくてはならない物質です。その「味」は、適度な濃度ではおいしいと感じて食欲を増進させたり、濃すぎると摂取したくなくなったりするなど、私たちの健康を維持する役目も持っています。塩の味に関する研究を概観してみましょう。

味覚受容体が鍵穴、味物質が鍵

ヒトの口内には、5つの基本の味ごとに感知するセンサー(味覚受容体)があります。たとえば、甘味受容体は糖を、塩味受容体は食塩中のナトリウムイオンを感知して、それぞれ甘味または塩味の知覚を引き起こします。

この味覚感知のメカニズムは脊椎動物が共通に持つもので、味覚受容体が鍵穴、味を引き起こす味物質が鍵の関係になっています。鍵穴に合わない形の鍵が来てもはまりません。たとえば、砂糖(ショ糖)は塩味受容体に結合することができないため、塩辛く感じることはありません。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    4年間SNSをやめて気づいた「心を失う人」と「回復で…
  • 10
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story