コラム

ヒトゲノム完全解読、「究極の個人情報」にアクセスできる時代に起こり得ること

2022年04月12日(火)11時30分
ヒトゲノム

ヒトの遺伝子は、2万1000~2000個程度と推定されている(写真はイメージです) Svisio-iStock

<「ヒトゲノム解析計画」の終了から約20年経過し、ついに完全解読に成功。生物学や医学への寄与が期待される一方、遺伝情報がもたらす差別など人権上の問題への対策も議論される必要がある>

ヒトの全遺伝子情報(ヒトゲノム)が初めて完全解読できたと、米国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)などから成る研究チームが1日付の米科学誌サイエンスに発表しました。

ヒトゲノムの完全解析は、米遺伝学者のフランシス・コリンズの主導により,アメリカのエネルギー省と国立衛生研究所の協賛を得て 1990年からヒトゲノム解析計画(Human Genome Project)が始まったことが発端です。この計画には米英日仏独中の6カ国が参加し、2003年4月に解読は完了しました。

けれど、当時の技術では解読困難な部分があったため解析は完璧とは言えず、全長の15%が欠けていました。研究者たちが2013年から参照配列として用いている最新のヒトゲノム配列でさえ、8%が未読のままで残っていました。

解読困難だった「ジャンクDNA」の正体

ゲノム(genome)は、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)、あるいは遺伝子と全体を示す接尾語(-ome)を組み合わせた造語で、遺伝情報の全体、つまり「生命の設計図」という意味です。

ヒトの体は約60兆個の細胞でできています。特定の細胞(精子、卵子、赤血球など)を除けば、すべての細胞の核には23対46本の染色体が含まれています。23番目は性別を決める染色体です。染色体にはDNAが折りたたまれて収納されていて、その中には遺伝子が含まれています。遺伝子とは、DNAのうちタンパク質をつくるための情報が記録されている部分のことです。

ヒトゲノムの構成を見てみると、DNAはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類の塩基で約30億対(二重らせん構造のため全体では60億個)の配列を作っています。そのうち遺伝子は、2万1000~2000個程度と推定されています。

ヒトゲノム計画が始まった30年前には、多くの科学者が「ヒトの遺伝子は10万個以上だろう」と予想していました。けれど、2000年にいち早くゲノムが完全解読されたキイロショウジョウバエの遺伝子は1万4000個程度、マウスは2万2000~3000個程度で、ヒトと大差はありません。今では、ヒトなどの高等生物は、一つの遺伝子から複数のたんぱく質を作ることができるので、遺伝子の数を増やさなくても賄えるからだと考えられています。

これまで塩基配列が解読できなかった8%の部分は、染色体の末端部「テロメア」や中央部「セントロメア」です。以前は機能がわからず「ジャンクDNA(がらくた遺伝子)」に分類されていたこの部分の配列は繰り返しが多く、解読するのは困難でした。

かつて、今回の完全解読チームを率いたことのあるエリック・ランダー氏は、「コンピューターは、塩基配列に対してジグソーパズルを解くように解析する。『ジャンクDNA』の領域は繰り返しが多く、いわばパズルピースの形が似かよっているために、適切な場所にはめ込むのが難しかった」と説明します。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ米大統領、19日にロシア・ウクライナ首脳と

ビジネス

日産、追浜と湘南の2工場閉鎖で調整 海外はメキシコ

ワールド

トランプ減税法案、下院予算委で否決 共和党一部議員

ワールド

米国債、ムーディーズが最上位から格下げ ホワイトハ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:2029年 火星の旅
特集:2029年 火星の旅
2025年5月20日号(5/13発売)

トランプが「2029年の火星に到着」を宣言。アメリカが「赤い惑星」に自給自足型の都市を築く日

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 3
    ワニの囲いに侵入した男性...「猛攻」を受け「絶叫」する映像が拡散
  • 4
    「運動音痴の夫」を笑う面白動画のはずが...映像内に…
  • 5
    MEGUMIが私財を投じて国際イベントを主催した訳...「…
  • 6
    配達先の玄関で排泄、女ドライバーがクビに...炎上・…
  • 7
    大手ブランドが私たちを「プラスチック中毒」にした…
  • 8
    米フーターズ破綻の陰で──「見られること」を仕事に…
  • 9
    メーガン妃とヘンリー王子の「自撮り写真」が話題に.…
  • 10
    iPhone泥棒から届いた「Apple風SMS」...見抜いた被害…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 3
    ワニの囲いに侵入した男性...「猛攻」を受け「絶叫」する映像が拡散
  • 4
    カヤック中の女性がワニに襲われ死亡...現場動画に映…
  • 5
    母「iPhone買ったの!」→娘が見た「違和感の正体」に…
  • 6
    シャーロット王女の「親指グッ」が話題に...弟ルイ王…
  • 7
    あなたの下駄箱にも? 「高額転売」されている「一見…
  • 8
    トランプ「薬価引き下げ」大統領令でも、なぜか製薬…
  • 9
    ヤクザ専門ライターが50代でピアノを始めた結果...習…
  • 10
    宇宙の「禁断領域」で奇跡的に生き残った「極寒惑星…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    脂肪は自宅で燃やせる...理学療法士が勧める「3つの…
  • 5
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山…
  • 6
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
  • 7
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1…
  • 8
    部下に助言した時、返事が「分かりました」なら失敗…
  • 9
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 10
    5月の満月が「フラワームーン」と呼ばれる理由とは?
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story