瓦礫の跡に残る見えない苦悩
働く意欲を失う人たち
宮城県気仙沼市のホテル観洋は震災直後、市からの要請で約1000人の被災者を受け入れ、今も500人以上が避難生活を送っている。業務を再開した職場に復帰する人もいるが、仕事をして給料を受け取る、という元の生活を取り戻しつつある被災者はほんの一部だ。
近くの別のホテル内につくられた仮設のハローワークには、弁当を手にした数百人の被災者が毎日のように列をつくる。その半面、もう働く意欲を失い、当てもなくホテル内や近所をぶらぶらして時間をつぶす人たちもいる。
「住民の不安をどうやって打ち消すのか。今後の地域経済の復興がこの地域の未来の姿を決める」と、ホテル観洋を経営する阿部長商店の経営企画室長、菊池一は言う。菊池の言うように、地域経済を支えるのはほかならぬ地元企業だ。企業の復興なくしては地域の復興もない。
言うまでもなく、震災後にはさまざまな形での支援が既に行われてきた。被災者にはまず食事や毛布などの生活必需品が国と都道府県から無償で提供され、仮設住宅も建てられている。さらに家屋の「全壊」「大規模半壊」「半壊」という状況に応じた金額が支給された。市町村からも被災者に見舞金の形で多少の現金が支払われている。
公的資金を元にした支援とは別に、民間からの寄付金と義援金もある。寄付金の多くは地域復興のためのインフラ整備に充てられるが、地方自治体や日本赤十字社などが取りまとめる義援金は、被災者に現金で支給されることになっている。
ただこうした支援は思うように被災者の手元に渡っていない。厚生労働省によると、全国から慈善団体などを通して寄せられた総額3189億円のうち、8月末の時点で90%が被災都道県に既に配られているのに、被災者への分配が済んでいるのは57%にすぎない。
最大の原因は、自治体による審査や調査に時間がかかっていることだ。必要書類の作成や審査などに時間を要し、被災地の自治体には支払いの遅さに対する苦情が多く寄せられている。
仮に義援金を手にし、仮設住宅に移ったとしても、すぐに元の生活を取り戻せるわけではない。実際苦しい生活を強いられている人も少なくない。
例えば、日本赤十字は仮設住宅の被災者に電化製品を寄贈しているが、被災者がリサイクルショップに持ち込んで、現金化しているという話が絶えない。日赤福島県支部の参事である斉藤武宜は「残念なことだが、寄贈したものをどう使うかは被災者の判断だ」と言う。