コラム

テヘランのトイレは小便器なし、シャワーあり

2016年11月25日(金)14時45分

boggy22-iStock.

<政府関係者たちとのラウンドテーブルのためにイランを訪れた際、一番関心をもったのはトイレだった。男子用小便器がない。そして、水の噴き出すホースがあった> (写真はアラブ首長国連邦の空港にて)

 11月はじめにテヘランを訪れる機会があった。訪問の目的はイランの政府関係者たちとのラウンドテーブルへの参加だったのだが、こちらがその場で日本・サウジアラビア関係について話をしたもんだから、案の定、出席したイラン人から集中砲火を浴びてしまった。発表が終わったあとも、対アラブ・イスラーム諸国外交を専門とする人に捕まって、別室でコンコンと説教をされた。サウジアラビアのような人権を無視し、アルカイダやイスラーム国のようなテロ組織を支援する国をどうしておまえは支持するようなことをいうのだ、と。

 おまえにいわれたくないわ、とも思ったが、大人なのでそんなことはおくびにも出さず、しごく冷静な反論を心がけた(先方がそれで納得するとは思えなかったが)。イランの名誉のためにいっておくと、そのまえにサウジアラビアの外交関係者と会ったときも、朝から晩まで逆にイランの悪口ばかりで、これはこれで閉口するものであり、まあ、どっちもどっちというところであろう。

 わたしがイランで一番関心をもったのは、彼らの反サウジ感情の根深さもあったが、実は別のところにあった。尾籠な話で申し訳ないが、トイレのことである。政府系研究所で説教されたあと、トイレに行ったのだが、パッとドアを開けると、男子用小便器がない。全部個室なのだ。さては女子トイレとまちがえたかと焦ったが、落ち着いて見直せば、やはり男子用トイレだった。個室のなかは座り式の、いわゆる洋式便器もあれば、イラン式のしゃがみ込み式のものもあったが、いずれにせよ立って用を足す小便器がないのだ。そのときは、ふーんと思っただけだったのだが、その後気になって注意していると、どこにいっても、公衆トイレには、男子用小便器が存在しないのである。

 不思議に思って、イラン専門家でもある、テヘラン駐在の日本の商社マンに訊ねてみたら、イラン・イスラーム革命の指導者であった故ホメイニー師が革命直後、信者からの質問に答えるかたちで、立小便は内臓に負担を強いることでもありイスラーム法に照らし好ましくないとの宗教的な判断(ファトワー)を下したのだという。そこで、大だろうが、小だろうが、みんな座って用を足すべしということになり、国中の男子用小便器が破壊されたとのこと。

 変に納得してしまい、帰国後同僚のイラン専門家(女性)にその話をしたら、似たような話が最近の朝日新聞に出ていましたよというではないか(「イランの公衆トイレに定めあり 意外と柔軟、例外も多い」)。さっそく読んでみると、ホメイニー師や破壊という語は出てこないものの、イランで聞いたのとだいたい同じである。記事によると、イランのトイレでは以下のような細かい規定があるという。「トイレは左足から入る▽パンツを下ろすのは右、水洗いは左手▽トイレでは話さない▽頭も尻も聖地メッカに向けない▽水がなければ小石も使えるが、奇数個に限る......」

 ちなみに、この規定は、ホメイニー師の代表的著作、『諸問題解説の書』に出てくるものと似たような内容で、要はこのあたりが出元であろう。なお記事では「最新のショッピングモール」で小便器を見つけたとあるが、わたし自身は空港のラウンジでようやく発見することができた。また、インターネットで検索すると、イラン各地での小便器の目撃談を見つけることができる。小便器が現代のイランにまったく存在しないわけではない。

 小用のとき、立つか座るか、あるいはしゃがむか、スンナ派ではライバルのシーア派とは若干異なる立場をとる。彼らは預言者ムハンマドのハディース(言行録)を引き、預言者はしゃがんで小便をするのがふつうであったが、立って小便をすることもあったとし、しゃがんでするのがスンナ(預言者の慣行)だが、立ってするのもハラーム(禁止)ではないとする。おそらく、ホメイニー師も似たようなハディースに依拠していたのだと思うが、イランの場合、最高指導者の宗教判断が出てしまったので、それに逆らうことはできず、既存のトイレも含め、立ってする用の小便器がイスラーム共和国から駆逐されてしまったのかもしれない。それにしてもイランの最高指導者というのは、天下国家を論じるだけでなく、日常の、どうでもいいようなこまごまとしたことまで判断を下さねばならず、ほんとうに大変だなあと思う。

【参考記事】よみがえった「サウジがポケモンを禁止」報道

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

岸田首相、「グローバルサウスと連携」 外遊の成果強

ビジネス

アングル:閑古鳥鳴く香港の商店、観光客減と本土への

ビジネス

アングル:中国減速、高級大手は内製化 岐路に立つイ

ワールド

米、原発燃料で「脱ロシア依存」 国内生産体制整備へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS攻撃「直撃の瞬間」映像をウクライナ側が公開

  • 3

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を受け、炎上・爆発するロシア軍T-90M戦車...映像を公開

  • 4

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 5

    こ、この顔は...コートニー・カーダシアンの息子、元…

  • 6

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 7

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 10

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる4択クイズ

  • 4

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 7

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 10

    メーガン妃の「限定いちごジャム」を贈られた「問題…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story