コラム

プーチンの戦争が終わらせる戦後日本の「曖昧な平和主義」

2022年05月07日(土)12時12分
プーチン

ロシアによるウクライナ侵攻を伝えるニュース、2月24日東京にて Issei Kato-REUTERS 

<勝敗を「曖昧にすること」でウクライナ戦争を終えることは、もはや困難に見える。それは戦後の日本人が冷戦以来ずっとなじんできた、「曖昧さゆえの平和」を大きく揺るがす>

2月にロシアが始めたウクライナ戦争は、いよいよ「終わり方」が見えなくなってきた。当初は対独戦勝記念日にあたる5月9日に「勝利宣言」するはずだったプーチンの目算は狂い、むしろ同日に正式な「宣戦布告」を行うとの観測も出ている(4日時点で同国報道官は否定)。

仮にそうなった場合、たとえ核兵器の使用等は回避できたとしても、かつての世界大戦にも比すべき数年規模の長期戦となる危険も覚悟しなくてはなるまい。その場合、いかなるウクライナ戦争の「戦後秩序」が生まれ、私たちはどんな世界へと連れてゆかれるのだろうか。

最大の鍵を握る概念は、「戦略的曖昧さ」(Strategic Ambiguity)であろう。しかしその重要性は、十分に気づかれているとはいえない。

戦略的曖昧さとは狭義には、「有事の際にいかなる対応を取るのかを、事前には『あえて』明言せず曖昧にしておくことで、含みを持たせる」といった軍事・外交上の手法を指す。

たとえば開戦前、アメリカのバイデン政権には、ロシアが侵略を始めた場合に米軍をウクライナ領内に派遣して直接応戦する意思の有無を「明言しない」という選択肢もあった。もしそれを通じてプーチンに米ロの直接戦争となる懸念を抱かせ、開戦を断念させることができれば、曖昧さを戦略的に活用したということになる。

しかし実際にはバイデンは開戦の前後を通じ、一貫して米軍が(NATOの加盟国ではない)ウクライナの領内で戦うことは「ない」と明言している。自国の意思を曖昧にしてプーチンを牽制するというオプションは今回、最初から放棄されていた。

これを弱腰外交と批判するのは、早計である。ウクライナ戦争に関しては国際政治学の専門家ほど、「戦略的曖昧さ」を用いなかった点では、米国の判断は正しかったとする評価が目立つ(田中明彦氏、『Voice』5月号。中西輝政氏、『文藝春秋』同月号など)。

もしアメリカが意思を曖昧にし、米軍投入の可能性を仄めかしたままでロシアが開戦した場合、国際世論からの「あれだけ言っていた米国は、なぜウクライナに部隊を送らない」とする圧力が高まり、本当に世界大戦になってしまうかもしれない。

あるいは米軍自体が参戦してくる可能性があるなら、それ以前に勝負をつける必要があるとして、プーチンが核使用の決断を焦り、史上初の全面核戦争に発展する危険もある。

だから直接参戦はしないという消極的な形であっても、曖昧ではなく「明瞭に」米国が自国の意思を表明していたことは、「まだまし」な対応だったとされるわけだ。確かに狭義の政略的な判断としては、そうした主張に説得力があると思う。

問題はそうした戦略的曖昧さへの低評価が転じて、「結論を出さず『曖昧にしておく』状態はすべて悪い」「世界のどの国の目にも『明瞭な形で』、常に国際紛争は決着させなければいけない」とする規範が、このウクライナ戦争を機に成立してしまうことだろう。

プロフィール

與那覇 潤

(よなは・じゅん)
評論家。1979年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得後、2007~17年まで地方公立大学准教授。当時の専門は日本近現代史で、講義録に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』。病気と離職の体験を基にした著書に『知性は死なない』『心を病んだらいけないの?』(共著、第19回小林秀雄賞)。直近の同時代史を描く2021年刊の『平成史』を最後に、歴史学者の呼称を放棄した。2022年5月14日に最新刊『過剰可視化社会』(PHP新書)を上梓。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

FRB現行策で物価目標達成可能、労働市場が主要懸念

ワールド

トルコ大統領、プーチン氏に限定停戦案示唆 エネ施設

ワールド

EU、来年7月から少額小包に関税3ユーロ賦課 中国

ビジネス

米クリーブランド連銀総裁、「引き締め的な政策」望む
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 2
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 3
    受け入れ難い和平案、迫られる軍備拡張──ウクライナの選択肢は「一つ」
  • 4
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 5
    【揺らぐ中国、攻めの高市】柯隆氏「台湾騒動は高市…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 9
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 7
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 8
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 9
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story