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「ウクライナ」を創るプーチン

2015年12月28日(月)11時58分
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授) ※アステイオン83より転載

「ウクライナ」とは何か 第二次世界大戦中のウクライナはヒトラーとスターリンの狭間で生きなくてはならなかったが、キエフの大祖国戦争史国立博物館を訪れると、ソ連時代の展示がそのまま継承されているかのようだった(同博物館の巨大な立像、盾にはソ連のマークが刻まれている、2014年3月撮影) Konstantin Grishin-REUTERS

 ゴーゴリ、ニジンスキー、ホロヴィッツ、そして大鵬と聞いて、共通項がロシアというよりもウクライナだと思う人は多くないだろう。もっとも作家のゴーゴリはウクライナに生まれたことは間違いないが、当時ウクライナは帝政ロシアの一部。ゴーゴリ自身もサンクトペテルブルクに移り、ロシア語で作品を執筆した。ロシアバレエ団で活躍したニジンスキーもキエフ生まれだが、両親ともポーランド人である。現在のウクライナ領西部は一四世紀以降ポーランドやリトアニア領で、その後ハプスブルク帝国の領土になった。ニジンスキーが学んだのはサンクトペテルブルクだし、活動の中心はむしろパリとみて良いかもしれない。ピアニストのホロヴィッツもウクライナ生まれで両親はユダヤ系である。だが一九二五年にはソ連を出国し、その後アメリカに移ったので、ピアニストとしての活動の大半はアメリカ人として行われた。大鵬の父は、樺太に入植したウクライナのコサック騎兵の将校である。ロシア革命後に当時日本領だった南樺太に亡命し、そこで日本人女性との間に生まれたのが後の横綱大鵬なのである。

 こういった人々の人生を見ると、ウクライナ人とは何か、そもそも国家や民族のアイデンティティとは何かと考えさせられる。上のそれぞれの人物にとって、「ウクライナ」が何を意味していたのかは様々だろうし、何かを意味していたのかどうかすら定かでないが、ウクライナとして今日存在している国に、多様なアイデンティティ、民族、宗教、歴史が交錯していることを思い出す。これについては本誌八一号でアンドリー・ポルトノフ氏が論じている通りである。

 実はウクライナゆかりの人物は、日本人が想像するよりずっと多くて、日本に馴染みの人々も少なくないが、そういった認識が希薄である。私もつい最近までホロヴィッツもニジンスキーもロシア人なのだろうと思っていた。それは、あまりに我々がロシアとの関連でしかウクライナのことを見ていないせいではないだろうか。だがそのウクライナは、決して小さな国ではない。国土は六〇万平方キロで日本の約一・六倍、これはEUで最大の面積を持つフランスよりもまだ大きい。四五〇〇万の人口は、イギリスやフランスの七割程度だから、ヨーロッパの基準では大国と呼ぶにふさわしい。ロシアと似たようなものなのだろうというのは、欧米の人たちが日本と中国の区別がつかないのに似ているかもしれない。マスコミも、災害、紛争といった劇的な惨事でもなければ、日本のことにあまり関心はない。ウクライナについても二〇〇四年のオレンジ革命、一昨年以降の一連の騒乱や政変、ロシアによるクリミヤ併合、そして東部ウクライナでの紛争といった事件は盛んに報じられたが、専門家でもなければウクライナそのものを定点的に観察したりはしない。おまけに善玉の親EU派と悪玉の親ロシア派の対立という欧米主要メディア報道の図式も、彼らの報道の常としてそのまま受け取るわけにはいかず、なかなかその実態がつかみにくい。専門家でもない私が、わずか三日だけだが七月末キエフを訪れたのは、ともかく自分の目で現地を見てみたいという思いからだった。

 キエフは思っていたよりずっと穏やかだった。昨年、欧米メディアも近くのホテルから実況中継までした一大反政府運動が繰り広げられた独立広場に行くと、モニュメントや狙撃されて亡くなった人たちの写真があったが、革命の臨場感はすでになかった。治安もキエフ市内を歩いていて不安になる経験はしなかった。警察のパトカーが日本の援助による新しいプリウスで統一されていたのが目につき、警官がニューヨーク市警のようなスマートないでたちなので、少なくとも見た目は信頼できそうだった。統計を見ると一人あたりのGDPは約四〇〇〇ドルで日本の一〇分の一程度、昨年以来マイナス成長で、IMFや欧米諸国からの支援でなんとか債務不履行を免れている。だがなにぶんにも豊かな穀倉地帯なので市場は農作物で一杯だったし、郊外のダーチャと呼ばれる別荘で家庭菜園をやりながら週末をのんびりと過ごす人も多いと聞いた。夏には多くの人が休暇を取っていなくなるので、現地の専門家とのアポ取りに少し苦労したくらいで、深刻な窮乏という感じにはほど遠かった。もちろんちょっと見てきたくらいで判ったような気持になるのは禁物だ。私はキエフにしか行かず、ロシアに併合されてしまったクリミヤや、東部の紛争地域を見ているわけではない。東部の紛争でもう少なくとも六〇〇〇人を超える人命が失われ、一四〇万人ほどが国内避難民となっている。実際今回の旅行の私の印象を一言で言えば、ロシアの力ずくの現状変更によって、ウクライナの反ロシア姿勢は後戻りの効かないところまで来たのかもしれないということだった。

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