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「ウクライナ」を創るプーチン

2015年12月28日(月)11時58分
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授) ※アステイオン83より転載

 もっともだからといってウクライナがしっかり政治的に団結できるかどうかは別の問題だ。実はウクライナが独立国だった時代は歴史的に見てそう長くはない。現在のウクライナの領土は旧ソ連時代の共和国をそのまま引き継いだもので、領域内には多様な民族的、文化的、歴史的背景を持つ人々が住んでいる。とりわけロシアとの文化的・宗教的関係は長く重要かつ複雑で、これについても本誌八一号で下斗米伸夫氏が詳しく分析している。キエフ市内ではロシア語が当然のように通じるし、自分をロシア人だと思っている人々もクリミヤや東部では少なくないのは事実である。またクリミヤは特別だというロシアの主張にも根拠がないわけではない。欧米主要メディアは親ヨーロッパ派が穏健な自由主義者だというイメージで語りがちだが、第二次世界大戦中にドイツと組んだ勢力の流れをくむ、「ファシスト」だとロシアは非難する。確かにウクライナ独立を目指してソ連と執拗に戦いKGBに暗殺されたバンデラのような民族主義者は、ナチ・ドイツとも組んだし、急進的なウクライナ民族主義者の中に反ユダヤ主義的勢力がいるのも事実である。

 キエフの街は天気に恵まれ快適だったが、私はなぜか少し落ち着かなかった。どうやらそれはヨーロッパの首都なら必ずある王宮がないので、街の中心がどこなのかが了解しにくいせいではないかと思い始めた。国王はいなくとも権力者や成金ならいる。昨年の政変でロシアに逃亡したヤヌコヴィッチ前大統領の別荘は今や観光名所になっていて、観光客がやってきていた。広大な敷地内に贅を尽くした建物や庭が配され動物園まであった。だがこれは王宮ではなくそのパロディにすぎない。

 王室や王宮とともに、国家の統一感を確認するありきたりの装置が歴史である。興味深いのが、この国がソ連の一部として生きていた時代の評価である。ウクライナがソ連統治下で苛斂誅求にあい、とりわけスターリンが一九三〇年代にホロドモールと呼ばれる人工的な大飢饉を引き起こしたことはよく知られている。第二次世界大戦中のウクライナは、誰もが認める悪玉のヒトラーとかのスターリンとの狭間で生きなくてはならなかった。この時代については、どう評価されているのか。そう思って「大祖国戦争史国立博物館」を訪れると、対独戦におけるウクライナの貢献が強調され、対日戦の勝利についても展示があった。だが私が見た限り、前述の民族主義者バンデラの展示はなかった。ソ連時代の展示がそのまま継承されているのかもしれないが、もしそうならばウクライナはソ連のやったこと、たとえば第二次世界大戦後の東欧での抑圧にも、責任の一端があるということになりはしないだろうか。なにせスターリンの後継者フルシチョフはウクライナ人なのだ。

 この国で継続的な国家の権威は可視化しにくいし、「正しい民族の物語」を語るにはあまりにも多数のウクライナがある。良く悪くもともに生きてきたし、今後もともに生きていくのだから政治的妥協も必要だという感覚がいささか弱いのがこの国の難しさなのではないか。もちろん民族的アイデンティティは、常に再生産の過程にある。マルクス主義なきソ連崩壊後のロシアがナショナリズムへの傾斜を強めると対抗的ナショナリズムがどうしても生ずるし、露骨な介入、紛争、戦死者、避難民は、この先長くこの国に住む人々の共通体験として記憶されそうである。プーチンはウクライナをそうとは知らず創りつつあるのではないか。そのことを象徴するかのように、「大祖国戦争史国立博物館」では、東部で戦死したウクライナ軍兵士たちを記憶する、真新しく入念な展示が一階正面のホールを占めていた。

 というわけでロシアは嫌われEUやNATOへの期待は高い。だが国際政治が好き嫌いだけでやっていけるはずはない。EUはウクライナ問題でロシアを非難はしても、ロシアとの決定的な関係悪化を望むまい。また仮にウクライナがNATOに加盟しても、アメリカ人は、組織だった抵抗もせずにクリミヤで屈したウクライナを守るために、はたして命をかけるだろうか。この国の人々は、国際政治の力学を見極めつつも、団結して独立と自由を守る覚悟はあるのだろうか。そんなことを心配しながら展示を見ていると、ふと安保法制で憲法論議に終始する日本のことを思い出した。

[筆者]
田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)
1956年生まれ。京都大学大学院法学研究科中退。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授などを経て現職。専門は国際政治学。著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(編著、有斐閣)など。

※当記事は「アステイオン83」からの転載記事です。
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