World Voice

イタリア事情斜め読み

ヴィズマーラ恵子|イタリア

イタリアが「富の終着駅」となる理由:富裕層移住の現実と課題

地元住民の困惑 -- 生活コスト急騰の現実

しかし、イタリアメディアの報道を見る限り、すべてがバラ色とは言えない状況が浮かび上がってくる。富裕層の大量流入は、地元住民にとって両刃の剣となっているという。特に移住が集中するロンバルディア州ミラノ県やリグーリア州では、「生活コストの高騰」や「地域格差の拡大」への懸念が日増しに高まっているとの報告がある。

ミラノフィナンツァ紙の調査によれば、ミラノ市内では、一般市民が賃貸物件に手が届かなくなってきているという声が多く聞かれる。平均賃料が月2,500ユーロ(約42万円)を超えた地域もあり、年収が30,000ユーロ(約504万円)未満の中間層にとっては、まさに生活圏の喪失を意味する事態となっているという。現地では「経済的ジェントリフィケーション」という用語で この現象を説明している。

地元の不動産業者の証言によれば、「富裕層向けの高級物件建設が優先され、中間層向けの住宅供給が不足している」という指摘がある。市場メカニズムとしては自然な現象かもしれないが、社会的な観点からは深刻な問題を孕んでいるという分析も見受けられる。


税収効果への疑問 -- 経済貢献の真実

富裕層向け税制が国全体の税収に与える影響についても、専門家の間で意見が分かれている。支持者は「移住者がイタリア国内で消費し、ビジネスを起こし、間接的に経済を活性化させている」と主張する。実際、高級レストラン、ブティック、プライベートバンキングなどの業界では、明らかな恩恵を受けているという報告もある。

一方、批判的な立場からは、「リタイア間際の富裕層が単に生活拠点を移すだけで、雇用創出や産業育成にはほとんど寄与していないのではないか」という指摘もある。実際、イタリアの会計検査院(Corte dei Conti)の2023年報告書では、1,136人の富裕層がこの制度を利用していることが確認されているが、その経済効果の詳細な分析は今後の課題となっている。

どちらの主張により真実味があるのか、現時点では断言しがたい。しかし、長期的な視点から見れば、両者の言い分にはそれぞれ一理あると考えられる。重要なのは、定量的な効果測定と継続的な政策評価を行うことであろう。


EU内部の緊張 -- 税務競争の副作用

より深刻な問題は、EU諸国間での「税務競争」が激化していることだ。イタリア国民の70%がヨーロッパ全体での富裕層への課税を支持しているという調査結果もあり、国内世論との乖離が懸念される状況にある。

ポルトガルでは類似の優遇制度「ゴールデンビザ」が地元住民の反発を受けて2023年に廃止された。フランスでもマクロン政権が富裕層税制の見直しを検討しており、EU全体では富裕層に対する2%の税率で年間200-250億ドルの税収を確保する提案も出されている。

イタリアが次の矢面に立つ可能性は十分にあるだろう。政治的な風向きが変われば、現在の制度も見直しを余儀なくされる可能性がある。富裕層の移住計画には、こうした政治的リスクも考慮に入れる必要があるのではないだろうか。

現在のイタリアの税制では、投資による所得には26%の一律税率が適用されている。これは所得の多寡に関わらず同じ税率であるため、大きな資産を持つ者ほど有利になる仕組みだ。富裕層向けの特別制度がこの傾向をさらに加速させる可能性もある。

地域社会への影響も無視できない。リグーリア州の小さな漁村では、富裕層の別荘建設により景観が変わり、地元の生活様式にも変化が生じている。文化的な多様性は歓迎すべきことかもしれないが、急激な変化に対する地元住民の戸惑いも理解できる。

制度の持続可能性

こうした制度は、短期的な税収確保には効果的かもしれないが、長期的な持続可能性には疑問符が付く。富裕層の移住は、彼らの経済的な都合や政治的な状況に左右されるため、安定した政策基盤とは言い難い側面もある。

また、イタリアには退職者向けの7%フラットタックス制度もあり、税制優遇措置の重層化が進んでいる。これらの制度が相互に与える影響や、全体的な税制の公平性についても検討が必要であろう。

Tax Justice Networkの研究によれば、人口の0.5%が富裕層税を支払えば、世界全体で2兆ドル以上の税収が見込めるとされている。こうした国際的な潮流の中で、イタリアの制度がどこまで維持できるかは未知数だ。

OECD(経済協力開発機構)も多国籍企業の税務回避問題に取り組んでおり、個人富裕層の税務問題も今後の議論の対象となる可能性がある。イタリアの制度も、こうした国際的な枠組みの中で見直しを迫られる日が来るかもしれない。


イタリアにおける政治的な現実と国内世論との折り合い

政府が課税額を20万ユーロに引き上げた決定は、表面的には税の公平性を考慮したものと見えるが、根本的な制度の見直しには至っていない。これは政治的なバランス感覚の現れとも言えるが、抜本的な解決策とは言い難い。

国内の政治情勢が変化すれば、富裕層優遇政策に対する世論の反発が強まる可能性もある。特に経済危機や社会保障制度の財源不足が深刻化すれば、「なぜ富裕層だけが優遇されるのか」という疑問が噴出することは想像に難くない。

イタリアの伝統的な地域社会と、国際的な富裕層との間には、文化的な隔たりも存在する。言語、生活習慣、価値観の違いが、時として摩擦を生む可能性もある。富裕層の移住により、地域の国際化や文化的な多様性が促進されるという肯定的な側面もある。古い建物の修復、文化イベントの開催、地元産業への投資など、地域社会にとってプラスの効果も期待できる。

筆者は最終的に、こう考えている。制度は制度として機能しているが、制度だけでは社会は動かない。長期的には、富裕層の移住を歓迎する社会の受容性、教育・医療・治安などのインフラ整備、そして地元住民とのバランスをとる仕組みが欠かせないのではないだろうか。

具体的には、富裕層からの税収を地域社会の改善に還元する仕組み、地元住民の住居確保を支援する政策、文化的な交流を促進するプログラムなどが考えられる。単なる「税金の安い国」ではなく、「共生可能な社会」としてのイタリアを構築することが、長期的な成功の鍵となるはずだ。

イタリアが富裕層にとっての「終の住処」となるか、それとも一時的な「避難所」に過ぎないのか。
イタリアが社会的合意と経済的安定の両輪を保ち続けられるならば、それは「富と文化の融合国家」として、21世紀の欧州モデルを再定義する起点になるかもしれない。

そのためには、政策立案者、地域住民、そして移住してくる富裕層自身が、互いの立場を理解し、共通の利益を見出す努力が不可欠である。税制優遇措置は始まりに過ぎない。真の意味での「富の終着駅」となるためには、より包括的で持続可能な社会設計が求められているのだ。

 

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

あなたにおすすめ

Ranking

アクセスランキング

Twitter

ツイッター

Facebook

フェイスブック

Topics

お知らせ