
England Swings!
ロンドン抜歯事情

ロンドンで歯を抜いた。少し前から違和感があった奥歯をそのまま放っておいたら、なんだかグラグラしてきたのだ。
わたしは歯が弱くて、歯医者さんには子どもの頃から本当にお世話になっている。虫歯の治療はひと通りしたし、歯列矯正もした。ロンドンでも前歯を折ってインプラント治療を受けたし、親知らずも抜いた。それでも歯医者に行くのは今も苦手だ。ジジジと歯を削る音を想像しただけで逃げ出したくなる。
イギリスで歯医者を選ぶ時にまず考えるのは、NHS(国民保健サービス)を使うか、プライベート(全額私費負担)にするか、ということだ。NHSでは一般の診察・治療は無料だけれど、歯科治療には料金が必要になる(16歳以下、妊婦などは無料)。とはいえ、プライベートに比べればぐっとお得だ。
NHSの料金は治療によって3段階に分かれていて、現在は、①検査、レントゲンなど簡単なものは27.40ポンド(約5,000円)、②歯根治療、抜歯などは75.30ポンド(約1万5,000円)、③歯列矯正、入れ歯などは326.70ポンド(約6万4,000円)。コロナ前に比べて、ほぼ倍に値上がりした気がして驚く。これなら、一時帰国時に日本の歯医者さんで支払う私費負担額とあまり変わらないかも。
プライベート治療ではクリニックによって料金設定が異なるものの、NHSよりずっと高いことは間違いない。歯科保険に入っていれば自己負担額が減るとはいえ、保険適用前だと初診だけで何万円というのが相場だ。わたしの経験だと、インプラント治療の人工歯が外れて、それを入れ直す1回の施術で4万円払ったことがある。それも10年以上前のことだ。
そんなに高いならNHSにしよう、と思うかもしれない。けれどもお得なNHSの歯科治療には登録患者が多くて予約が取りにくく、新規の患者を受けないところさえある。親知らずがおそろしく痛くなった時、緊急扱いでも3日後の予約だったことを思い出す(英国暮らしに慣れると、なんとかやり過ごそうと受け入れるようになるけれども)。しかもNHSでは必要最低限の治療法や素材を使うので、治療が長持ちせず、やり直しになることも多いらしい。

それなら、やっぱりプライベートがいいのだろうか。治療費が高くてもすぐに診てくれるし、ゴージャスな雰囲気で気分がいい。インプラント治療を受けたプライベートのクリニックは、エリートが集まる金融街シティにあった。天井の高い待合室は優雅な照明に照らされ、ソファはふかふか、クラシック音楽が流れていてホテルのロビーのよう。ガラス張りの冷蔵庫に整列しているミネラルウォーターを自由に飲むこともできた。受付の人もドクターも怖いくらいに愛想がよかった。
ここで前歯を2本抜いた時には、患者への対応が行き届いていて感激した。まず最初に、「前歯が抜けた状態でこの部屋を出ることは絶対にありません」と固く約束してくれ、麻酔をする前に鎮痛剤も飲ませてくれ、いよいよ抜くという瞬間には付き添いのナースが手を握ってくれた。ドクターは、「はい、最初はベイビーガール(女の子の赤ちゃん)だったよ。次はどっちかな?」と陽気なサービス精神を発揮してくれたし、抜歯後も「栄養摂れるよ」と宇宙食(!)のチューブを手渡してくれたり、「誰も迎えにこないの? タクシー呼ぼうか?」と気遣ってくれたりもした。お金を出せば、快適に過ごすことができる。
だたしプライベートのドクターは、必要のない治療を勧めてくることもあるので要注意だ。わたしは、問題があった歯のほかに、こっちの歯の高さも揃えられる、このセラミックも質を上げられると一気にあれこれ勧められて、軽いパニックに陥ったことがある。治療が増えればあちらは収入が増えるだろうけど、こちらは支払いが増えるのだ。

- ラッシャー貴子
ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。
ブログ:ロンドン 2人暮らし
Twitter:@lonlonsmile