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イタリア事情斜め読み

ヴィズマーラ恵子|イタリア

ミラノ中央駅21番ホームとイタリア系ユダヤ人の迫害

ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)と記されている(第一強制収容所)の玄関 iStock- Martina Pellecchia

| 1月27日はホロコースト犠牲者を想起する国際デー(UN International Holocaust Remembrance Day)

1945年のこの日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がソ連軍によって解放された。

イタリア各地で多くのイベントが開催される。

ミラノでは、エンニオ・モリコーネ巨匠が書いたホロコーストに捧げられた映画のサウンドトラックを提供する「ショアのためのメモ」(THE EVENTS)をはじめ、多くのイベントが開催されている。1月27日21.00に音楽院のFacebookページで放送される。

そして、テレビ・ライ5では「ビジョニ」のモノグラフエピソードで午後8時45分にテレビでも放送される。
1月27日の午前8時から、ショア記念館への扉がデジタルで開かれる。
財団のFacebookページから、メモリアルの歴史の中でバーチャルツアーに進むことができる。午後4時にInstagramでもライブが行われる予定。

ローマでは、ローマのユダヤ人コミュニティは追悼の日のために、皆が会えることを可能にした。
ローマのユダヤ人に対する迫害に関する研究の情報源と方法(1938-2944)」がユダヤ人コミュニティのFacebookページで利用できるようになる。

そして、ホロコーストの生存者であるサミ・モディアーノさん90歳とのインタビュー会談が上映される。

ウシュビッツビルケナウの恐怖を直接目撃したサミ・モディアーノさんは、2020年7月18日に90歳になり、国家元首の表彰を受けた。
アウシュヴィッツビルケナウの恐怖の直接の目撃者。彼に敬意を表するために、セルジョ・マッタレッラ大統領は彼を共和国のメリット勲章のグランドクロスの騎士に任命した。

1944年、ドイツ人が島のすべてのユダヤ人をナチス収容所に強制収容したとき、彼はロードス島にいたそうだ。
当時はイタリアの植民地。
彼は「子供たちに彼の話をすることに人生を捧げてきました。私はそれを私の使命と考えています。」と語っている。

「なんとか生き残ることができたがそれ以来、なぜあの死の工場から生きて戻ることができたのか、罪悪感を感じながら長い間考えた。何年も経った後に、少年たちに自分の経験したことを話し始め、私は生き証人として選ばれたのだ、これが私の使命だと感じるようになった。神が私に力を与えてくれるまで、あの悲惨な出来事が二度と起こらないように、私はずっと語り続けていこうと思う。」

彼の話は、ワルテルヴェルトロニが制作し、パロマーと共同でスカイが制作したドキュメンタリー映画「これらの目の前にあるすべて」でも語られ、2018年のメモリアルデーの際にテレビで放映された。

ヴェネツィアから、1月27日午前11時に、トリノのポロデル '900のようなゴールドーニ劇場も、市のソーシャルチャネルでの延期されたストリーミング放送を通じて、「サッカー場からアウシュビッツへ」という演劇の物語を上映する。

スカイTG24では、ニュース番組のメインエディションで、クリスティアナ・マンチーニによるアウシュヴィッツを最後に去って収容所のドアを閉めた子供であるオレグ・マンディッチへのインタビューと、芸術作品を集めた作家フランチェスコ・ロトロへのジョン・ペデフェリによるインタビューが放映される。

| ミラノのミラノ中央駅の21番ホーム

以前は郵便列車のみが積み降ろしされていたが、1943年12月から1945年1月の間に、ミラノ中央駅のいわゆる「プラットフォーム21」から23隻の護送船団が出発した。
被追放者は主にユダヤ人、政治犯、党派、反ファシスト労働者だった。
目的地に直接移動するか、フォッソリ収容所、ヴェローナ収容所、ボルツァーノ収容所を通過し、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所、マウトハウゼン、ベルゲンベルゼン、ラーフェンスブリュック、フロッセンビュルク行きの牛車に積み込まれた。その他の絶滅収容所と強制収容所などへ送られた。


強制送還の現場であったヨーロッパのすべての場所の中で、今日でも記念碑は無傷のまま残っている唯一の場所だ。

ミラノにお越しの際は、ミラノの穴場観光地である第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ショア)の犠牲者に捧げられた記念館(メモリアル)ショア記念館を訪れて欲しい。

Shoah Memorial (Fondazione Memoriale Della Shoah Di Milano Onlus)

所在地: Piazza Edmond Jacob Safra, 1, 20125 Milano MI
チケット: €5~10 · memorialeshoah.it
電話: 02 282 0975


| 人類の負の遺産、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ行ってみた

ユネスコ世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。

生涯忘れることのできないであろう激しい衝撃、今でも思い出すと苦しくなる。

ポーランドの旅行会社を通して現地ツアーを予約したら、朝の5時間15分にホテルに迎えに来てくれるとのことで、そこから列車に乗り、クラクフ駅まで3時間の旅。クラクフ駅に専用車運転手が待っているので、その車でアウシュビッツまで行く。日本語ツアーもあったが、一人10万円もする高価なものだったので、私は、イタリア人ガイドのイタリア語ガイドで3時間コースでまわるツアーに申し込んだ。父と私、2名で520ズウォティ。


とにかく、息苦しく重たい。織物の材料に使われる刈り取られた人毛の山、靴やカバン、新天地で仕事で見つかると騙されて連れてこられた人もいたそうで、使うことのない食器や鍋やフライパンといったようなキッチン道具もたくさんあった。

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亡くなられた方達の遺品(日用品や靴や人毛など)には、その一つ一つに人の人生があって、その方が殺されて亡くなったのだという現実の恐ろしさに震えた。筆者撮影

中でも、ショックだったのはニベアクリームの缶があるのが非常に衝撃的だった。ドイツ製のクリームを愛用していた方々がドイツ人に殺されたという皮肉で惨たらしい惨劇がそう昔の話ではないのだという現実。

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アウシュビッツ強制収容所にて展示品 筆者撮影

所々で、皆さん、そろそろ気づいたと思いますが・・・とガイドは言う。「ドイツ人は巧みに嘘をつき、ここに連行された人達の心理を操っていた。」と。

先に到着した人達が、"俺たちも君たちもだまされているんだ、みんなここで殺されるんだ」とバラす者がいたら、即時に処刑される。中庭にある処刑場「死の壁」で銃殺された。死の壁の中庭で私たちの団体ではない他の団体客の一人の携帯が鳴った。

私たちのガイドは、大きな声で、携帯をすぐに切れ!ここで話すな。この壁で多くの人が射殺された。敬意がないのか!と大声で怒鳴った。

収容所のドイツ人看守でも脱獄する人や密告する人や精神が病んだ人が出てくる。そんな人達を入る牢獄もあった。

| ホロコーストで約7800人のイタリア人が亡くなった。

イタリア人ガイドの解説がエグかった。

1番手前の1本の木まで歩いて辿りつける人は約半分、木の麓に行くまでに倒れ込んでそのまま亡くなる人がいたり射殺されたりするから。

木にたどり着いた人は、まずは合格。看守がホームの先端で待っていて、「全員その場で服を脱いで裸になれ」と命令をするそうだ。

「お前たちは列車で長旅をしてきた、臭いし汚いので皆、まず最初にシャワーを浴びてもらう」と言うそうだ。なぜか?と疑問に思う人は少ないと言う。そのまま全裸になり、女性は長い髪の人はその場でバッサリ切り落とされる。

身につけている貴金属も全て外すように命令される。

風呂に入るのに邪魔だから、シャワーの後で返すからまずは外すよにと言われれば、みな素直に外す。その場で没収された貴金属などの金目のものは、資金源となるので没収で返ってくる事はない。

展示室でみた眼鏡や貴金属は、この時に没収されたものだとガイドは生々しく説明を加えてきた。

シャワーではない、全裸になり、そのまま毒ガス室へ直行だという意味だ。毒ガスのシャワーなのだ。

服などを着ていると遺体を消却する時間と薪の費用が嵩むので、事前に自分らで衣服を脱いでもらうというわけで、これからお風呂でさっぱりすると騙されて、毒ガス室へ送られる。

アウシュビッツの展示室には、その時の全裸になった人達の列になっている写真が展示されてある。その写真の説明をここでされた。

そして、毒ガス室へも私たちツアー客は入った。壁には無数の傷が。それは毒ガスでもがき苦しんだ人が爪で引っ掻いてつけた深い傷なのだという。

おぞましい。。。

こんな部屋には入りたくなかったし見たくもなかったが、イタリア人ガイドについていかなければ、その場に置いていかれてしまうので、ついていくしかない。

その毒ガス室の次の部屋の扉を開けたら、そこは遺体を焼くための焼却場だった。火葬場というより、本当にゴミを消却するようなところだ。1日に何度も焼却しこの一帯は、人間の焼ける臭いが充満し悪臭が漂っていたそうだ。遺体を焼却場へ移動させるのも焼くための薪を運ぶのも、この強制収容所に連行された人達の仕事だ。

その後、看守は指を左右させて人選をする。看守が右を指差し「お前はあっち」、左を指差し「お前はあっち」と。。。

左の方向へ歩けと指示された人が向かう先は、働き手になる労働者として使えそうな体格のいい人。右の方向へ歩けと指示された人が向かう先は、労働力になりそうにない非力な人はそのまま毒ガス室へ直行になったと言う。

その中でも貴重な人材で別の場所を指差して案内されるのは双子の子供。人体実験に使うからだと言う説明であった。

双子の体を真っ二つに切り裂き、1つの人体に繋ぎ合わせるとどうなるか?など、気の狂ったような実験がされていたとガイドは説明した。私が吐きそうになったのは、その双子の体を引き裂くのはその子たちの母親にさせたというから、どこまでドイツ人はやることが狂っているんだとショックだった。

母親は泣き叫ぶ我が子の身体を切り裂かなければ殺すと脅迫されている。泣きながら我が子の身体を縦に真っ二つに切って殺すことのできる母親がいたのだろうか。想像しただけで胸が痛い。

母親は、身体を引き裂いても、引き裂かなくても、殺されたという。地獄だ。

看守の指先だけで死の道を指し示し、右、左、その先、という具合だったとリアルにイタリア人ガイドは指を左右に振って見せた。

右でも左でもない場所を指差す場合、「木のふもとに歩いていけ」と家族連れの場合は木の下に団体で行くことを指示される。

木に家族全員をロープで縛り付けて、生きたまま火をつけ焼き殺したそうだ。イタリア人ガイドは、その木のふもとにツアー客全員を案内し、私たちもその黒い影になっている場所を見学させられた。いまだ人が大量に焼かれ地面が黒く焼き焦げている跡がその場に残っていた。

リアルすぎる、残酷なツアーガイドだ。

ガイドは最後に、ビルケナウ強制収容所の敷地内にあるイタリア人達の集団墓地へツアー客を引率した。

ここで、約7800人のイタリア人が亡くなった。

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ビルケナウ強制収容所の集団墓地 イタリア人犠牲者達のお墓前にて 筆者撮影

ツアー客から最も多くされる質問にご立腹で、涙目になって声を荒げ、

「イタリア人らに失望した、どうしてこういうバカな質問をするのか考えられない。これだけのものを一緒に見学して来て、もっと頭を使えよと思う。だから、皆さんもこんな質問を絶対にしないでくれ」と言った。

その質問とは、

"ここまで亡くなった人の家族や子孫はお墓参りにやって来ますか?"

と聞いてくる人が多いそうだ。

「よく考えてみてくれ、家族共々皆殺しをされたんだ。ここに眠っている人達に子孫がいると思うか・・・。墓参りに来てくれるような未来に残す子孫まで大虐殺されたんだ。」とガイドは締めくくった。

ガイドは言った。「ポーランド人は"世界で最も笑わない"国民だ」

「こんな悲惨な惨劇があった場所で、笑えない。歯を見せて笑っている人なんていないんだ」と。

なるほど、かなりグッさり刺さった言葉だった。

 

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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