
NYで生きる!ワーキングマザーの視点
コシノミチコ邸を飾る「触れるアート」 フォトアーティスト平塚篤史がNYで語ったフェティシズムの美学
世界的デザイナー・コシノミチコが自宅に迎え入れた一枚の写真。その作品を手がけたのは、写真家 ATZSHI HIRATZKA。フェティシズムを美意識として昇華し、視覚を超えて"触れる感性"を提案する彼の作品は、ニューヨーク・ソーホーでの展示でも観る者の感情を静かに揺さぶった。本取材では、彼が語る「性と美、そして触覚のアート」について迫る。
ベイリー:
ニューヨーク・ソーホーでの展示を終えて、現地の反応や印象に残ったエピソードはありますか?
ATZSHI HIRATZKA:
ソーホーで2025年の春に行われたアートフェアでは、「自分の作品がニューヨークという舞台で、果たしてどのように受け入れられるのか」を知りたくて参加しました。
私の作品は"フェティシズム"をテーマに据えているため、日本国内ではまだ誤解されることも少なくありません。だからこそ、アートの多様性に寛容なニューヨークでの反応は非常に気になるものでした。
展示中、ある来場者(おそらくアーティストの方)が作品を見て「この作品は、美としてしっかり成立している」と言ってくださったんです。
その言葉に、「フェティシズム=美=アート」という私のテーマがきちんと伝わっている手応えを感じ、とても嬉しく思いました。
また別の方からは、「アメリカにも、自分の中に性的なものを秘めている人はたくさんいます。だからこそ、こうやって"性"を美しく、アートとして表現してくれることは素晴らしい」と、あたたかい言葉をいただきました。
自分にとって"当たり前"だった表現が、異なる文化圏でも"美"として共感される。
それはとても感動的な経験であり、作品に込めたメッセージが国境を超えて届いた瞬間でした。
フェティシズムを恥ではなく、美意識として昇華させる。
この想いが、ニューヨークの多様な観客にしっかりと伝わり、高い評価を受けたことは、今後の創作活動において大きな励みになりました。
まだまだ対外的には小さなステップですが、自分にとって大きなステップだったと思います。
ベイリー:
世界的デザイナー・コシノミチコさんの自宅にあなたの作品が飾られているそうですが、それを知ったときはどんな気持ちでしたか?
ATZSHI HIRATZKA:
率直に、とても光栄な気持ちです。
コシノミチコさんといえば、世界を舞台に活躍されている日本を代表するファッションデザイナーであり、感性や美意識に対して極めて高い基準を持たれている方です。
そんな方が私の作品を"自分の空間に置いてる"と思うと、何よりも大きな評価だと感じました。
しかも、大阪岸和田という本当にプライベートな空間に置いていただけたことが、個人的にはとても意味深く──
「日常の中」に作品を迎え入れてくださったという事実が、心に深く響きました。
私の作品は、フェティシズムという繊細で誤解されやすいテーマを扱っているからこそ、どこかで「本当に伝わるのか」という葛藤が常にあります。
でも、あの美意識の塊のような方に肯定され、生活の中に取り入れていただけたことは、作品がきちんと"美"として届いているという確かな証になりました。
また世界的デザイナーのコシノミチコさんが、私の作品を「カッコイイ!」とおっしゃってくださったことがありました。
そのとき「一生続けて行き! 頑張り!」と言葉までいただいた事がありました。
ロンドンという美意識の最前線で生きている方が、私の表現に共鳴してくださったことが、本当に嬉しかったですし、自信にもつながりました。
今もその光景を想像すると、心からの感謝の気持ちでいっぱいになります。
ベイリー:
あなたの作品には、ラテックスやボンデージといった"フェティッシュ"の要素が強くありますが、あえてそれをアートとして提示する理由とは?
ATZSHI HIRATZKA:
フェティッシュという言葉には、どうしても「いやらしい」「隠すべき」といった偏見が付きまといます。
ですが私にとってラテックスやボンデージといったモチーフは、単なる性的な記号ではなく、質感・光・フォルムという視覚的な美しさの中に、強い精神性や緊張感、そして静かな優美さを感じさせる存在です。
実際、私が初めてボンデージのビジュアルに出会ったのは幼い頃。
グラフィックデザイナーだった父の資料の中でした。
そのとき「美しい」「かっこいい」と純粋に心が動いた感覚は、今もずっと忘れられません。
言葉にすることすら難しかったその感動を、今ようやくアートという形で昇華できているのだと思います。
私は、フェティシズムを人間の奥深い感性や美意識のひとつとして見つめ直したい。
それを視覚的・触覚的・空間的に表現することで、いやらしさではなく、感性や共感を育てるものとして提示したいという想いがあります。
そして、それこそが"アートである"と信じているからこそ、あえてこのテーマに真っすぐ取り組んでいます。
ベイリー:
"写真をなぞるように触れてほしい"というメッセージが印象的でした。鑑賞体験に"触覚"を取り入れる意図を教えてください。
ATZSHI HIRATZKA:
"写真をなぞるように触れてほしい"という言葉には、鑑賞者と作品との間に、視覚だけでない深い繋がりを生みたいという想いが込められています。
私の作品は、銀塩プリントやバライタ紙、イタリア製の木製額装など、自身の表現の為に素材そのものにも強くこだわっています。
そこには、質感や温度、光の反射、紙の重みなど、"触れることでしかわからない情報"があると考えているからです。
触覚というのは、人間の記憶や感情ととても深く結びついています。
たとえば、布の肌触りや革のしっとりとした質感、ラテックスの張りつめた光沢......それらは見るだけではなく、触れることで記憶に焼きつき、感情が動きます。
写真に触れるという行為は、単なる鑑賞を越えて、作品と感性が交差する瞬間だと思っています。
そして、"なぞる"という繊細な仕草には、どこかフェティッシュ的な親密さも宿っていて、それが私の作品の世界観と深く重なります。
アートに触れてもいい。
「視覚だけでなく、質感や緊張感まで含めて伝わるような表現にしたいんです。触れることで初めて伝わる何かがあると信じています。」
眺めるだけではなく、五感で味わい心で繋がる感覚も、アートの本来の楽しみ方のひとつではないかと私は考えています。
ベイリー:
使用機材や現像にも非常に強いこだわりを感じます。作品において"技術"とはどんな存在でしょうか?
ATZSHI HIRATZKA:
「技術」とは、私にとって"静かなる対話者"である。
自分の思い描く「美」をかたちにするために、技術は欠かせない存在です。
私にとって"技術"とは、感性を限りなく純度高く具現化するための手段であり、静かに作品を支える「骨格」のようなもの。
どれほど美しい感覚やコンセプトを抱いていても、それを的確に伝える術がなければ、それらはすべて想像の中に留まり続けてしまう。
だからこそ私は、撮影機材の選定から現像工程のひとつひとつに至るまで、徹底したこだわりを持っています。
たとえば本作では、LEICA S (007) を用い、銀塩プリントにはILFORD社製のバライタ紙を使用し、世界にわずか5台しか存在しない特別なプリンターで仕上げました。
それは決して"高級機材"だから選んだのではなく、私が感じた光の揺らぎ、肌の温度、空気の重なり──そうした繊細な情感を、正確かつ情緒を伴って写しとるために、必要な選択だったのです。
また、それぞれの工程はただ機械的に積み上がるものではなく、自らの感覚と感性に従順であることによって、どれひとつとして欠けることのない「技術」の集合体として結実していきます。
私は、技術を"見せる"ために作品をつくっているのではありません。
けれども、技術がなければ、感情も美意識も、ただ空を切るだけのものになってしまう。
だからこそ、技術とは決して前に出ることなく、それでいて作品の奥行きと説得力を静かに支える、まさに"対話者"のような存在なのだと、私は感じています。
表現者にとって、使用する機材や工程にこだわることは、ある意味でごく自然な行為なのかもしれません。
すべては、自分の感性を、余すことなくかたちにするために。
そして、最終的に観る人の「心」と「美」に共鳴し、深く感応するためにこそ──「技術」という存在が、必要なのではないかと思います。
ベイリー:
これまで多くの著名人のポートレートも撮影されていますが、人物撮影で大事にしていることは?
ATZSHI HIRATZKA:
ありきたりかも知れませんが、その人の"自身"がふと見える瞬間を大切にしています。
撮影では、被写体が自然体でいられる様に自分も自然体でいます。
内側からふとこぼれる表情や仕草――その人らしさに触れられる一瞬に、敏感である事と思っています。
演技と同じで、僕が惹かれるのは"役"ではなく"自分"としてそこにいる瞬間です。
言葉にならない感情や背景が、視線の揺らぎや手先の動きに滲む。
そうした「心」や「存在」がふと立ち上がる瞬間。
感覚が呼応する。そのタイミングが私にとってのシャッターです。
「撮る」とは、相手の存在を理解する。
引き出すことと演出すること。
そのあわいにある"その人らしさ"を大切にしています。
被写体自身もまだ出会ったことのないような、新しい"その人"に立ち会えること――
その"余白"と"期待"、そして"美しさ"。
それこそが、僕がポートレートにおいて最も大切にしているものです。

筆者も実際にATZSHI HIRATZKAの作品に触れてみた。フレームは冷たくても、指先に伝わる光と質感の奥に、ラテックスに包まれた女性の曲線の美が、静かに息づいている気がした。まるで自分自身がその写真の中へ、吸い込まれていくような――そんな不思議な感覚に包まれる。
視ることと触れること、その境界が溶けていく。それこそが、彼のアートの真髄なのかもしれない。
【プロフィール】
平塚 篤史(ひらつかあつし)
1982年東京生まれ。ロンドンで4年間演劇を学び、俳優として活動。その後、31歳でフォトグラファーに転身。台北・中国・北京などで撮影されたファッション作品が国際的に評価されている。
- 「FERAUD 2019 S/Sキャンペーン」撮影担当
- 「APA写真家協会 広告アワード2017」入選
- 「EIZO賞」「Contemporary Art Salon in 台北」など多数受賞
- 現在はファッションポートレートを中心に、アートと美を追求している
HP:https://atzshi.com/
Instagram:https://www.instagram.c

- ベイリー弘恵
NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。
NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com






















































