
イタリア事情斜め読み
EU移民協定が露呈した欧州政治の本質
| 誰が本当に折れたのか
2025年12月現在、EU議会で「Asylum and Migration Pact(亡命・移民協定)」が可決された。この協定は、EU加盟国に不法移民の受け入れを強制し、拒否国に多額の罰金を課す内容で、移民政策の転換点を画く。協定は「連帯」を義務付け、移民の再配置(年間最低3万人)、または拒否1人あたり2万ユーロ(約360万円)の金融負担を課す。
運用支援の提供も選択肢だ。抗議者たちは「Vote No!!」と叫び、投票を妨害したが、可決は覆らなかった。協定は2024年4月に議会承認、5月に理事会可決され、2026年6月から全面施行。2025年11月には初の年次サイクルが開始され、加盟国は12月までに実施計画を提出中だ。
協定の背景は、2015年の難民危機以来の移民管理の失敗である。EUは国境管理を強化し、Eurodacデータベースで指紋・顔認識を義務化する。低承認率の国からの申請は12週間以内の迅速審査で、拒否時は即時国外退去を自動化する。移民の「二次移動」を防ぎ、加盟国間の責任分担を明確化する狙いだ。しかし、右派勢力は「EUの解体」を叫び、ハンガリーやポーランドは反対票を投じた。
フランスは再交渉を匂わせるが、実施計画の提出は14カ国のみで、遵守が課題である。
この協定は、EUの「連帯メカニズム」の象徴だ。移民流入減少(2024-2025年で35パーセント減)を背景に、効率化を図るが、罰金負担は財政弱小国に重くのしかかる。抗議の「Vote No!!」は、移民増加への不安を反映している。施行後、EUは移民を「資源」として管理するが、人権団体は「人道的でない」と批判する。2026年6月からの本格化で、欧州の移民風景は一変するだろう。
| 左派が可決させた法案ではない、本当のワケ
だが、ここで必ず正しておかねばならない現実がある。
この協定が可決されたのは、決して左派の政治力が右派を圧倒したからではない。むしろ、その逆である。右派の最大勢力たる欧州人民党(EPP)が、移民反対派の声を無視してでも協定に折れたから通ったのだ。
左派(S&D社会民主主義者136議席、グリーン53議席、左派46議席)の合計は235議席で、これだけでは720議席の議会で過半数に到底及ばない。今回の協定を可決させたのは、フォン・デア・ライエン率いる最大会派EPP(欧州人民党、188議席)が「賛成」に回ったことである。EPPはドイツCDU、フランス共和党、イタリアForza Italia、スペインPPなど、保守・キリスト教民主主義の政党の連合だ。つまり「左派が通した」のではなく、右派の最大勢力が折れたから通ったのである。この事実を見落とすと、政治の本質が完全に見えなくなる。
| 右派最大勢力が折れた決定的な3つの現実
ではなぜ、右派の最大勢力であるEPPは、移民反対派の怒りをかえりみず、この協定に賛成したのか。その理由は、現実の脅威の前に彼らが権力維持を優先させたからにほかならない。
それは、EU崩壊の恐怖の現実と権力維持との取引と極右台頭への防衛戦略である。
- EU 崩壊の恐怖の現実
2015年の難民危機でギリシャとイタリアが「もう受け入れられない」と国境を封鎖した時、シェンゲン協定は崩壊寸前になった。ドイツのメルケル首相(EPP所属)が単独で「百万人受け入れ」を宣言してドイツ国内で大炎上したトラウマは、EPP内部に今も深く刻まれている。ドイツ・オーストリア・スウェーデンなど北部諸国は「南部の国境管理がザルすぎて、移民が勝手に北上してくる」と激怒した。
EPPの指導部が冷徹に計算したのは、こうした現実である。南部の加盟国が再び経済的に破綻すれば、難民は北部へ雪崩れ込む。その時、EUという機構そのものが分裂する。南部に金と人員を出す代わりに、北部は最低限の受け入れを義務化する。この妥協案こそが、「2万ユーロ/人」の罰金付き連帯メカニズムである。
EPPは「南部が破綻すれば、また北部に難民が雪崩れ込む」と判断し、「最低限の連帯を飲まざるを得ない」という結論に達したのだ。EU崩壊を防ぐためという名目で、右派の最大勢力は移民反対派の声を抑圧した。
- 権力維持との取引
2024年選挙後、フォン・デア・ライエンは欧州委員会委員長としての再任を望んでいた。その再任を承認するには、左派とリベラル会派の票が不可欠だった。そこで露骨な取引が成立した。移民協定への支持と引き換えに、彼女の再任を認めるという条件闘争である。この取引は公然たる秘密であり、EPP内部でも強硬派は激怒した。
メローニ系の強硬右派(イタリアの同胞など)は反対または棄権に回った。だが党執行部は「権力維持を優先して」賛成に回ったのだ。つまり、この協定の採決は「左派 対 右派の政治的決戦」ではなく、「EPP執行部による権力維持の選択」だったのである。
- 極右台頭への防衛戦略
2024年選挙で極右勢力(ID会派とECR会派)は合わせて131議席に激増し、議会全体の18パーセントを占めるまでになった。もはや無視できない勢力である。EPPの執行部が直面した選択肢は過酷だった。極右と組めば政権は取れるかもしれない。だが、その瞬間にEU自体が分裂する。
イタリアのメローニ首相ですら、表向きは「反対」を掲げつつ、裏でEPPに協力して協定通過を黙認したほどだ。そこでEPPが採った戦略は「左派との妥協によるEU維持」だった。
移民協定に賛成することで、左翼とリベラルを自らの連立に組み込み、議会の過半数を確保する。そうすれば極右の影響力を抑制できる。極右浸透の危機を警戒する勢力の間で、「EUの存続」が「移民反対」より上位の優先順位に置かれたのだ。
| 右派の「裏切り」がもたらした現実
以上の三つの現実から、ただ一つの真実が浮かぶ。右派最大勢力(EPP)が折れたのは、「EUがバラバラになるよりは、嫌々でも連帯を飲む」という現実的な恐怖と権力維持が勝ったからである。だから「左派が通した」のではなく、右派の最大勢力が「EU存続>移民反対」の優先順位で折れたから通ったのだ。これが2024年4月の採決の真実である。
右派内部の「裏切り」に怒る国民感情は、今もくすぶっている。だが、その怒りの矛先が誤って左派に向けられるならば、真の権力構造は隠蔽される。本来の怒りは、EUの安定維持と権力維持を理由に、国民の民意を抑圧した右派の指導部に向けられるべきだ。左派との対立軸に目を奪われている間に、既得権層の論理は貫徹する。その認識こそが、今後の欧州政治を変える唯一の道なのだ。
EU議会で「亡命・移民協定」が可決。この協定は、EU加盟国に不法移民の受け入れを強制し、拒否国に多額の罰金を課す内容で、移民政策の転換点を画く。協定は「連帯」を義務付け、移民の再配置(年間最低3万人)、または拒否1人あたり2万ユーロ(約360万円)の金融負担を課すpic.twitter.com/g9J8CLWhXE
-- ヴィズマーラ恵子(@vismoglie) 2025 年 12 月 7 日



- ヴィズマーラ恵子
イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie





















































