犠牲になっても、今なおロシアを美化してすがる住民たち──言語、宗教、経済...ウクライナ東部の複雑な背景とは
LIVING UNDER SIEGE
ソレダールから北に20キロの所にあるシベルスク。20世紀初頭、セメントやガラスの原料になるドロマイトの採鉱場ができたことで発展を遂げてきた街だ。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると開戦前にいた住民約1万3500人のほとんどが避難し、1月時点で残っているのは1700人ほどだという。
街に入ると激しく破壊された学校や大きな穴が開いた集合住宅などがあり、被害の大きさが際立って見える。水、電気、ガスはおろか、電話での通信も困難だという。住民の1人に電話番号を聞いたところ、「通じないから無駄だよ」と言って断られた。私にとってウクライナで初めての経験だった。
なぜ避難せず、ここに残っているのか。支援物資を配り終えた後、マリウポリ聖職者大隊のバレラ・オレゴビッチ(23)に通訳を頼んで、住民たちに聞いてみた。親ロシア派で元教師のオルガ・ウラジミロブナ(78)はこう話す。
「ご覧のように私のアパートも壊れています。でも、どこへ行けばいいのでしょうか? 誰も私たちを必要としていない。ウクライナと友好関係にあったときはよかったのですが」
2001年の国勢調査では、シベルスクでウクライナ語を話す住民は77%、ロシア語は23%だった。だがこのアパートの住民のほとんどは、いわゆるロシア語話者だ。
14年のマイダン革命で親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領が退陣に追い込まれて以降、シベルスクはウクライナ軍と親ロシア派民兵集団との戦いの場となっていた。
オルガの話を聞いたバレラが言葉を挟んだ。「街を壊しているのはロシア人なんだから、彼らに怒らないと駄目でしょ」
近くで話を聞いていた鉱山労働者のデムチェンコ・アナトリエビッチ(56)がバレラの近くに歩み寄り、問いかけた。「彼らとは誰ですか?」
バレラが切り返す。「ロシア兵です。マリウポリでは子供や母親まで殺されたのです」
オルガが反論する。「ここでは1人のロシア兵も目にしていません」
背後にいた男性が割って入る。「われわれは国境に軍隊を配備して住民を保護し、人道的援助をもたらすことができる。おまえ、来る場所を間違えたな」