「ベルトでお尻を叩かれた」「大学進学は罪」──宗教2世1131人に聞く宗教的虐待の実態
ネグレクト推奨行為をどうするか
さて、「虐待」という行為は、暴力などの「身体的虐待」に限らない。心理的虐待、性的虐待、経済的虐待、そしてネグレクトなど、いくつかの種類がある。
教団ごとの比較をした場合、「エホバの証人」の2世回答者は、他の宗教団体の回答者と比べて、最終学歴が低くなる傾向があった。自由記述を読むと、多くのエホバ2世回答者が、「進学や就職をするのではなく、宗教活動に専念すること」を推奨されてきたのが分かる。
●高卒以上の学歴は不要、フルタイムの仕事に就くべきではない(と言われた)。
●ハルマゲドンが近いのに大学に行ったり正社員で働いている場合じゃない。出来るだけ奉仕に時間をさけといわれた。
●高校を卒業すると大学に進学するのが罪のような言われ方だった パートや契約社員などして実家暮らしで伝道活動に時間を割きなさいの考え方だった。
●高等教育、特に大学進学に関しては教義によって否定されていた。また布教を第一にした生活設計をするよう組織から指導されていたので、フルタイムの正社員で働くことは信仰心が無いこと、とみなされた。基本的に非正規、パート、アルバイトが推奨されていた。(布教に一番時間が割けるので)
宗教的虐待について議論する場合、教育ネグレクトや経済的虐待を含め、幅広い議論が必要となる。そして、これもやはり、「集団的なネグレクト推奨行為」についても、法的な、あるいは社会的な対応を考えることが必要だろう。
ただこのとき、必ず出てくるのが「線引きが難しい」「グレーゾーンはどうするのか」という指摘だ。「親に無理やり習い事をさせられるのも虐待か?」「大学に行かずに働いてほしい、と頼むのも虐待か」といった具合に。
線引きは難しい。それはその通りである。ただそれは、この問題に限ったことではない。そして、線引きが難しくても、できることが二つある。この二つは、他の立法においてもとられてきた手段である。
一つは、「明らかにアウトなものから手を付けること」だ。宗教的理由であろうが、「鞭打ち」などはアウト。未成年に、火渡りや滝行などを強要することもアウト。子供の小遣いや財産を、勝手に献金するような行為はアウト。こうした、「親の信仰の自由はあれど、社会通念上、児童福祉を著しく抑圧しているとみなされる行為」から線引きをしていくことはできるはずだ。
「線引きは難しい」と言われるとき、その多くは、いきなり「信仰の自由」と「子供の福祉」とのセンターラインを探そうとしてしまっている。それは到底不可能である。だからこそ、「ここからは明らかにアウト」という線をまずは明言すべきとなる。その後さらに、線引きのあり方を、不断に問い直すことが必要となる。
もう一つは、「規制以外の社会的オプションを複数用意すること」だ。例えば子どもが不服に思うような行為であったとしても、一般的には「虐待」とされにくいような行為はたくさんある。そのような境界事案であっても、なにも社会的に介入できないというわけではない。
例えば、子どもの相談に乗り、親と調整するサポートをしてくれる「子どもコミッショナー」制度。子どもが自分の意思で独立し、学費を確保できるような自立支援制度や奨学金制度。家庭以外の「第3の場所」にアクセスしやすいような地域社会づくり。さまざまなオプションによって、子どもの生存をサポートすることもできるだろう。
他の虐待問題同様、宗教的虐待もまた、「これさえあればゼロになる」という妙案はない。被害の実態を共有したうえで、ひとつひとつ、一歩一歩、対策を進めていくこと。その歩みを止めないためにも、実態調査などで明らかとなった「2世の声」を、広く共有することが重要となるであろう。
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