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忘れられた事件 渋谷区の児童養護施設施設長はなぜ殺されたのか

2022年1月5日(水)15時50分
印南敦史(作家、書評家)


一般の家庭で育った子どもでも18歳でいきなり誰にも頼らずに一人暮らしをして働いてと、自立を求められたら難しい。
 施設で育った子どもたちは、頼れる親がいる子どもと違って「失敗が許されない」という場合が多い。たとえば、高校を中退してしまったら、「じゃあ施設を出て働いて、自立して」ということが今でも起きている。しかし、早川さんはそれではだめだという強い思いで取り組みをしてきた。進学や就職という大きな環境の変化でつまずいたときも、一定期間寄り添えるようなサポートが欠かせないと考えている。(181~182ページより)

いま、こうしている間にも、行き場を失った子供がどこかで生きている

つまり「本当の父親以上に父親のような存在だった」はずの大森さんを逆恨みして命を奪ったAもまた、「失敗が許されない」状況で追い詰められたということかもしれない。

もちろん、それはAを正当化する理由にはならないが、制度がAを歪ませてしまったことも事実ではないだろうか。子供を救うシステムが確立されないままであるからこそ、Aのような人間が生まれてしまったとも考えられる。

著者も「あとがき」の中で次のように述べている。


 施設職員や支援にあたる人たちへの取材。私の中で印象に残ったのは、「命を奪う行為は断じて許されないが、Aのことはどうしても憎めない」と皆が異口同音に語った言葉である。さまざまな制度の狭間で起こった大森さんの事件の理不尽さを象徴するこの言葉。その意味を問い続けることは、「子どもの未来」を第一に考えていた彼の理想に近づく一歩になるだろう。そして、人が生きていく上で、"家族"や"親子"というつながりがいかに大切でかけがえのないものか。大森さんは今を生きる私たちに伝えている。(242ページより)

いま、こうしている間にも、Aのように行き場を失った子供がどこかで生きている。そして、彼らをなんとかサポートしようと尽力している大森さんのような人もいるのだろう。

人はそれぞれ、なんらかの問題を抱えながら生きているものだ。彼らのことを考える余裕はなかなか持てないかもしれないが、せめてその存在を心のどこかにとどめておくことは必要だ。

そうすれば、いつか"自分が彼らのためにできること"が見えてくるかもしれないのだから。

児童養護施設 施設長 殺害事件
 ――児童福祉制度の狭間に落ちた「子ども」たちの悲鳴』
 大藪謙介、間野まりえ 著
 中公新書ラクレ

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。

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