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東京五輪

今からでも「五輪延期」を日本が発信すべき外交的理由

2021年6月16日(水)06時45分
渡邊啓貴(帝京大学法学部教授、東京外国語大学名誉教授、日本国際フォーラム理事)

筆者は広報文化外交の成功には、「メッセージの概念化」、「文脈化(ストーリー化)」、「継続性」、そして「ネットワーク」が不可欠と考えている。

五輪の場合には世界の平和と繁栄という「概念(理想)」は明らかだから、コロナ禍の状況でそれを世界に日本のメッセージとしてどのように伝えるのか。その問いが弱かったのだと思っている。それはより普遍的な立ち位置からの発言であることが望ましい。

そして発信にはタイミングやその背景と結果に対する一連のストーリー(文脈)がとても重要だ。これはわが国の外交ではあまり意識されてこなかったことだ。世界の平和を祈念し、それを文化・スポーツで実現する日本という国のメッセージを送る絶好の機会が五輪だ。

5~6年ほど前にベルリンにあるドイツ文化外交研究所で研究部長と議論したときに、「コンテクスト」について話題が及んだ。かれはそれを文化外交の「枠組み」として定式化していると指摘した。表現は違っても発想の普遍性を確認して議論が盛り上がったことがあるが、こうした議論の場は日本ではまだ少ない。

発信しない事実追認型決定方式の環境づくり――矮小化される「議論」

そうした立場から見ると、現在までの政府の対応は、せっかく世界が注目しているというのに、むざむざと日本外交の発信のチャンスを逃そうとしているようにわたしには見えて仕方がない。

世界は今日本に注目している。何とか世界に日本からのメッセージを送ることはできないのか。本当にこの国には発信する気概も中身も失われているのであろうか。

それがなかなか政治家や大メディアを含む「日本のリーダーたち」には響かないのである。

それは日本の社会システムとその基層にある精神構造を反映している。本稿の趣旨ではないが、最後に一言付け加えたい。

実は議論の出発点が庶民と「日本のリーダー」とでは異なる。「リーダー」たちにとって五輪実施は大原則なのだから、ということから議論が始まる。「お上」が決めた大原則を変更することは場合によっては甚大な責任問題につながる。

「何のために」という世界に向けた基本的な問いかけが希薄なままの議論だから、話がその方向に展開し始めると、開催の是非論は状況判断とその技術的な数字をめぐる議論に埋没していく。ともかく開催には全力で努めた。しかし結論がどちらになろうが、事実追認が可能となる無難な環境づくりが優先される。実直な努力の姿勢は評価されようが、日本の意思の発信は後回しだ。

筆者流の言い方をすると、「なる外交」であって、「する外交」にはなっていないからだ。

そして今の段階で主体性を示せるとしたら、「延期」か「中止」しかない。

こうした論法では、大義に照らした主体的な判断をするという発想は後ろに引っ込んでしまう。五輪の実現そのものが自己目的化してしまう。それは無難な対応の積み重ねを是とする硬直化した日本の「エリート」体質に今やなっている。

「安心できる環境の中、みんなで楽しくやろうよ」――これはいたって素朴な庶民感覚である。それはそのまま世界に通じるメッセージだ。

なぜその一言が世界に対して言えないのだろうか。日本の顔は世界が注目する中で今回もまた不鮮明だ。

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