最新記事

日本社会

「自粛」という言葉の向こうに見えてくる日本人独特のマインド

2020年6月23日(火)18時00分
アルモーメン・アブドーラ(東海大学教授)

政府の緊急事態宣言が出ているなか、例えば、業者が政府の営業自粛要請に協力することもその一例である。政府はあくまで要請であって強制的ではないとしているが、協力しない業者や会社の名前を公表するなどの措置を取ることにしている。その背景にはやはり「周りから悪い印象をもたれないように自粛や自重などの行動で自己提示する」という文化的発想がある。さらに要請に反する行動をする人たちを注意したり、時には威嚇したりする市民による「自粛警察」という社会的現象もその発想の現れである。

単語とは数個の異なった意味成分が結合して出来上がる(作られる)ものだ。この意味原理に立てば、自粛、自重、自戒などのように「自」は日本語の語彙の中の重要な意味要素の一つとなる。実は、自粛のような単語からは、自分や他人に対してどんな潜在的意識を持っているかが読み取れる。言語学の専門用語で言うと、日本人の「自粛」という言葉に対する「心的イメージ」はどうなっているのかというものだ。

例えば、自粛の使い方にはこんな例がある。
用例:家族に不幸があったため、飲み会の開催をしばらく自粛した。

このように自粛には、場の雰囲気に配慮したり、周りの空気を読んで自分の気持ちや行動を抑えたりコントロールしたりするといった意味合いが含まれる。そのため日本人が考える自粛や自重、自戒などのような自律行動にはある2つの大事な要素/条件が必要となる。1つは、共に生きることを前提にすること(共生性)と、もう1つは「自」と「他」との関係性の中で自分を律して行動すること(利他性)だ。しかし、自分を律してこういう行動を取るには、本音と建前の使い分けが必要となる。というのも、本音は日本社会では期待されていなかったり、または求められていない場合が多々ある。
こうしたときに必要となるのが建前だ。建前とは「社会が求めている答え」で、自分と相手との関係を存続させるために活用される文化的道具の一つだ。


言葉が人々の行動を決める

自粛したくても、したくなくても、期待される行動として、また、求められる行動として自ら応えなければならないのが、何が適切かについての社会や集団が共有する価値観や見解だ。それが、個人の判断のよりどころとなる日本社会の「規範」の一つである。こうした規範は規則ではないが、それに従わないと「制裁」が課せられるようなものだ。そして、これを理解していないと日本社会での共生と利他による関係が上手くいかない。

つくづく思うのだが、日本的コミュニケーションや行動パターンは実にユニークである。四半世紀も日本文化に浸かって生きてきた私でさえ戸惑うことが少なくない。

言葉というものの影響範囲は言語の領域にとどまらず、行為、出来事、対象など種々多様の経験の構造化にまで及んでいる。そして、それが人間と言葉の関係を決める大原則だ。このようにして言語はそれぞれの世界を、その言語独特の方法で理解している。つまり、私たちの思考や行為の土台にある認知と概念は、その根底から本質的に言葉の産出である。言葉が国の運命を決めるのと同じように、人々の行動を決めるのも言葉である。

almomen-shot.jpg【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。

【話題の記事】
・新型コロナ「勝利宣言」のニュージーランドにも新規感染者
・【写真特集】「自粛」が可視化した東京の現実
・外出自粛の長期化で懸念される児童虐待──保育の拡充は子どもの命を救う
・街に繰り出したカワウソの受難 高級魚アロワナを食べたら...

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

インドネシア、340億ドルの対米投資・輸入合意へ 

ワールド

ベトナム、対米貿易協定「企業に希望と期待」 正式条

ビジネス

アングル:国内製造に挑む米企業、価格の壁で早くも挫

ワールド

英サービスPMI、6月改定は52.8 昨年8月以来
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 3
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索隊が発見した「衝撃の痕跡」
  • 4
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 5
    米軍が「米本土への前例なき脅威」と呼ぶ中国「ロケ…
  • 6
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 7
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    「22歳のド素人」がテロ対策トップに...アメリカが「…
  • 10
    熱中症対策の決定打が、どうして日本では普及しない…
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 8
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 9
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 10
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中