最新記事

家族

都市封鎖下のNYラブストーリー 近づく妻との最期

2020年4月19日(日)13時17分

問いかけられた言葉「あなたは誰」

ロイスさん自身も工芸作家として実績があったが、ハワードさんが創作に専念できるよう、自分は普通の仕事に就くといつも断言していた、とハワードさんは語る。彼女は料理人、臨時教師、麻薬・アルコール依存症カウンセラー、看護助手、彫刻彩色専門家といった仕事に就いた。

「彼女は1970年代の本物のフェミニストだった」とハワードさんは振り返る。やがてニューヨークの「ラディカル・ペインティング・グループ」の一員として名を上げていく夫に対し、ロイスさんは「私が稼ぐから、あなたは絵を描いて」と言っていた、という。

ハワードさんの記憶によれば、ロイスさんはカナダのブリティッシュコロンビア州北部の田舎で育った。ある日、マンハッタンのメトロポリタン美術館での仕事から帰宅するなり、「ジャガイモを育てたい」と夫に言ったという。そこで2人は州の北部に引っ越し、人気玩具「ホッピング」を製造していた工場跡地に住み着いた。

彼女の記憶が失われ始めたときのことも覚えている。最初はゆっくりと。そしてある日ついに、浴室で介助していたハワードさんに「あなたは誰」と問いかけてきた。

長時間の電話インタビューとメールのやり取りのなかで、ハワードさんは時折、思い出を語ることに苛立ちを見せることがあった。彼はあるとき、記者に対し「パリでのくだらない話など忘れてしまいたい」と言いだした。「現在について語ろう。どうすればこれを切り抜けられるのか」

そう言いつつ、彼はまた、ロイスさんをめぐる別の思い出を話し始めるのだった。

だから、ハワードさんがいくら「自分はもっと現実的なことに集中している」と言うとしても、これは1つのラブストーリーなのだ。時として、人はラブストーリーから逃げられないのである。

孤独な別れへの恐怖

恐らく私たちの多くにとって、今回の危機における最大の心配事は、高齢の親族に(ウイルス感染かどうかはともかく)何かが起きはしまいか、そして地域社会や医療施設がロックダウン状態にある今、彼らのもとに駆けつけられないのではないか、ということだろう。そして多くの人にとって、その心配はさらに、孤独に死んでいくこと、あるいは死にゆく人にお別れを言えない恐怖へと深まっていく。

ハワードさんは、ロイスさんが入っている介護施設で新型コロナウイルスの感染者が発生しているという話は聞いていない。施設の運営者は6日に患者が発生していないことを確認してくれたが、週後半にはコメントを得られなかった。

だがハワードさんは、気持ちのうえでは悪い知らせに備えている。「これがどういうことになるのか、誰にも分かっていない」と彼は言う。「自分自身やロイスのことよりも、社会のことをはるかに強く心配している」

介護施設の入居者にとって、心配事は決して新型コロナウイルスだけではない。施設の多くは人手不足で、入居者は、訪問する家族にしかできない日常的な細かいケアに頼っている。ハワードさんは、全面的な訪問禁止が何カ月も続くとすれば残酷で非人道的なことになる、と言う。

ハワードさんは家で絵を書き続けている。だが、ロイスさんの介護というルーティーンを軸にしていた彼の生活は、当てもなくさまよっている。

「今や、日々の経過は意味を失ってしまった」とハワードさんは言う。「家にいて何か区切りになるものがあるとすれば、えさを要求する猫だけだ」


【関連記事】
・新型コロナウイルス、モノの表面にはどのくらい残り続ける?
・中国・武漢市、新型コロナウイルス死者数を大幅修正 50%増の3869人へ
・イタリア、新型コロナウイルス新規感染者は鈍化 死者なお高水準
・新型コロナウイルスをめぐる各国の最新状況まとめ(17日現在)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルとの貿易全面停止、トルコ ガザの人道状況

ワールド

アングル:1ドルショップに光と陰、犯罪化回避へ米で

ビジネス

日本製鉄、USスチール買収予定時期を変更 米司法省

ワールド

英外相、ウクライナ訪問 「必要な限り」支援継続を確
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中