最新記事

心理学

PTSD治療の第一歩は潜在記憶の直視から

Unspeakable Memories

2019年6月19日(水)17時30分
シャイリ・ジャイン(精神科医、スタンフォード大学医学大学院准教授)

トラウマは恐怖構造と呼ばれる神経回路網に保管される NICK SHEPHERDーIKON IMAGES/GETTY IMAGES

<性的虐待の記憶はなぜ被害者を苦しめ続けるのか――トラウマ回復の鍵はつらい体験と向き合うことだ>

マリアはきちんとした身なりで診察室に入ってきた。バッグは高級なブランド品、爪には鮮やかなコーラルのマニキュア、マスカラとアイライナーも完璧だ。でも彼女の顔はこわばり、ほとんど表情がなく、怯えたような目をしていた。眠れなくて、すごく不安なんです。マリアはそう訴えた。

聞けば幼い頃に、おじから性的虐待を受けていたという。当時の記憶はほとんどない。大人になってからは、おじに会わないようにしてきた。

20代の頃にも不安の症状があったが、カウンセリングが効いたようで、それからは問題がなくなったように思えた。そして新しい仕事に就き、結婚し、子供をもうけた。

しかし1年足らず前、マリアは離婚でつらい体験をした。それから彼女を虐待したおじが死んだ。おばがかわいそうなので、彼女は葬儀に出た。

「葬儀が終わって」とマリアは言った。「自分の車に戻り、運転席に座ったら奇妙なことが起きたんです。震えが止まらなくて、心臓がドキドキし、息ができず、窒息しそうで。初めてのことで、15分ほどは動けなかった。これって過去の虐待と関係があるのでしょうか?」

1週間後、マリアが再び訪れたとき、私は彼女の外見の変化に驚いた。染みの付いたTシャツ姿で、髪は無造作に結んであった。話し方はぎこちなく、内容は脈絡がない。次々とよみがえる性的虐待のつらい記憶に、彼女は溺れていた。公園への散歩や家族の誕生会、感謝祭のディナーやお泊まり会。どれもがおじの暴力で汚されていた。「自分じゃコントロールできない。思い出が勝手にやって来る。頭がおかしくなりそう!」

私が落ち着かせようとしても反応がない。すっかり取り乱して、私の質問にもまともに答えられない。

「お願い、触らないで」。怯えた声でそうつぶやいたかと思うと、今度は怒りだし、泣きながら叫ぶ。「だめ、だめ、そんなことしないで!」

心的外傷後ストレス障害(PTSD)の典型的な症状であるフラッシュバックだ。このとき患者は過去の記憶に圧倒され、もはや現在は存在しなくなる。

性的な暴力は今の社会にはびこっているが、その大半は明るみに出ない。

セクハラ告発の #MeToo 運動が起き、ウェイド・ロブソンとジェームズ・セーフチャックがドキュメンタリー映画『ネバーランドにさよならを』で幼時にマイケル・ジャクソンから受けた性的虐待を告発し、クリスティーン・フォードが最高裁判事ブレット・キャバノーから高校生の頃に受けた性的暴行を議会で告発する時代になっても、状況は変わっていない。

なぜか。性犯罪の被害者に対する世間の偏見が問題なのはもちろんだが、別の理由もある。心的外傷を受けた脳の働き方だ。PTSDは人知れず進行する。その間にトラウマの記憶は歪曲されていく。

だから被害者の説明は矛盾や食い違い、欠落だらけになる。話の信憑性に対する疑惑が、新たなセクハラや虐待、暴行のサイクルを継続させる。

ニュース速報

ビジネス

ドル小幅高、英EU通商協議停止で=NY市場

ビジネス

米国株248ドル高、雇用統計低調で追加支援策に期待

ワールド

バイデン氏、コロナ対策で議会の早急な行動要請 雇用

ワールド

ワクチン開発でパンデミック終らず、WHOが楽観論に

MAGAZINE

特集:202X年の癌治療

2020-12・ 8号(12/ 1発売)

ロボット手術と遺伝子診療で治療を極限まで合理化 ── 日本と世界の最先端医療が癌を克服する日

人気ランキング

  • 1

    新型コロナが重症化してしまう人に不足していた「ビタミン」の正体

  • 2

    オーストラリアの島を買って住民の立ち入りを禁じた中国企業に怨嗟の声

  • 3

    豪中炎上のフェイク画像を作成した過激アーティストが中国の「国民的英雄」に

  • 4

    台湾外相が豪に支援要請、中国の侵攻回避で

  • 5

    「残忍さに震える」金正恩式「もみじ狩り処刑」に庶…

  • 6

    「O型の人は新型コロナにかかりづらく、重症化しづら…

  • 7

    ナイキCMへ批判殺到の背景にある「崇高な日本人」史観

  • 8

    「中国は香港の一世代をまるごと抹殺することも厭わ…

  • 9

    世界の引っ越したい国人気ランキング、日本は2位、1…

  • 10

    中国の研究者1000人超が米国を出国 技術盗用規制強…

  • 1

    世界の引っ越したい国人気ランキング、日本は2位、1位は...

  • 2

    新型コロナが重症化してしまう人に不足していた「ビタミン」の正体

  • 3

    オーストラリアの島を買って住民の立ち入りを禁じた中国企業に怨嗟の声

  • 4

    日本の外交敗北──中国に反論できない日本を確認しに…

  • 5

    プレステ5がネット販売で「1秒後に売り切れ」、ゲー…

  • 6

    「残忍さに震える」金正恩式「もみじ狩り処刑」に庶…

  • 7

    マオリ語で「陰毛」という名のビール、醸造会社が謝…

  • 8

    「なぜ、暗黒物質のない銀河が存在するのか」を示す…

  • 9

    トランプが要求したウィスコンシン州の一部再集計、…

  • 10

    熱烈なBTSファンの娘に、親として言いたいこと

  • 1

    世界の引っ越したい国人気ランキング、日本は2位、1位は...

  • 2

    アメリカ大統領選挙、郵政公社がペンシルベニア州集配センターで1700通の投票用紙発見

  • 3

    半月形の頭部を持つヘビ? 切断しても再生し、両方生き続ける生物が米国で話題に

  • 4

    新型コロナが重症化してしまう人に不足していた「ビタ…

  • 5

    アメリカを震撼させるオオスズメバチ、初めての駆除…

  • 6

    女性陸上アスリート赤外線盗撮の卑劣手口 肌露出多…

  • 7

    アメリカ大統領選挙、ペンシルベニア州裁判所が郵便投…

  • 8

    オーストラリアの島を買って住民の立ち入りを禁じた…

  • 9

    事実上、大統領・上院多数・下院多数が民主党になる…

  • 10

    プレステ5がネット販売で「1秒後に売り切れ」、ゲー…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

英会話特集 グローバル人材を目指す Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
CCCメディアハウス求人情報
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
Wonderful Story
メールマガジン登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら
World Voice

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

絶賛発売中!

STORIES ARCHIVE

  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月