最新記事

海洋戦略

漁船を悪用する中国の狡猾

民間船を使って領有権を争う隣国を挑発する中国政府と人民解放軍の抜け目なき拡大戦略

2012年6月28日(木)15時17分
ジェームズ・ホームズ(米海軍大学准教授)

本当に漁船? 南シナ海のスカボロー礁をめぐる中国とフィリピンの対立のきっかけは中国漁船 Reuters

「歴史は繰り返す」とはこのことだろう。かつてソ連軍がそうしたのと同じように、中国は今日でも海洋戦略の手段として漁船を利用している。台北在住のジャーナリスト、イェンス・カストナーがオンライン紙のアジア・タイムズで5月に報じたように、中国が領有権を争う海域に出漁する中国漁船は、政府から何らかの補償を受けている可能性がある。

 似たような話は、冷戦時代に現役だった米海軍の将兵なら、誰でも聞いたことがある。当時はどんな特殊部隊も、ソ連の情報収集艦(AGI)の動きをチェックしなければアメリカの軍港を出港できなかった。AGIは高速航行できるよう改造された漁船で、米海軍の船隊が米領海を出た直後から追尾を始めた。

 AGIは漁の傍ら敵艦船の動きを追跡し、通信情報を傍受し、米海軍の海上での軍事行動の戦術を監視した。世界を見渡しても、こうした活動に民間の漁船を使う国は多くない。

 海軍の艦隊や海兵隊員だけでは足らず、民間の船舶や船員まで使う──。海洋戦略はもはや公共、民間を問わず、政府が使える手段をすべて使って権益拡大を図る総力戦と化している。

 AGIは海上での監視や通信傍受といった防諜的な活動が主体だったが、中国漁船はもっと積極的な任務を持たされ、軍事行動に出ることもある。機雷の設置や除去はその一例だ。中国と海洋上の権益を争う周辺国に対して、「限定的な対立」をあおる手段としても使われる。

 アジア・タイムズは、この中国政府の戦略をアジアの海を都合の良いときにかき回せる「小枝」に例えた。周辺国と領有権を争う領土や領海について国内世論を喚起したいとき、内政に対する国民の不満をかわしたいとき、台湾に圧力をかけたいときなどにこの小枝が使われる。

 日本やフィリピンのように中国との間で領有権争いを抱える国は特に「限定的な対立」の標的となる。一昨年に尖閣諸島をめぐって日中が批判合戦を繰り広げたのも中国漁船がきっかけだった。現在フィリピンが実効支配する南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)をめぐって中国とフィリピンがにらみ合いを続けているが、その先陣に立っているのは中国の漁民だ。

 中国政府がこうした漁船の行動に直接指示を出しているのかは定かではない。恐らく意図的な指示が出ていることもあれば、偶然の衝突事故などに乗じるケースもあるのだろう。明らかなのは、中国政府が漁船に紛争海域での操業を奨励しており、問題が生じれば政府が乗り出していく、ということだ。

周辺国には敗北しかない

 周辺国の沿岸警備隊や海軍が中国漁船を追い払おうとしたら、中国政府が行動を起こすためのもっともな理由になる。一昨年の尖閣諸島をめぐる対立のように、外交的に介入することもできるし、スカボロー礁のように、漁民保護のために国家海洋局の巡視船を派遣することもできる。

 大砲のない「砲艦外交」とも呼べるだろう。少なくとも目に見える武力は誇示していない。人民解放軍は姿を見せずに待機しているだけだ。特にフィリピンのように相手国の軍事力が中国のそれより圧倒的に劣る場合は、姿を見せない海軍が大きな抑止力として働いている。フィリピンが中国の軍事力を無視して危険な賭けに出るとは思えないからだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国最大野党の李代表に逆転無罪判決、大統領選出馬に

ビジネス

台湾の対米貿易黒字は「構造的問題」、米国も理解=中

ビジネス

スーパー販売額2月は前年比0.3%減=日本チェーン

ワールド

韓国の山火事死者18人に、強風で拡大 消火中ヘリが
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 2
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取締役会はマスクCEOを辞めさせろ」
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 5
    「トランプが変えた世界」を30年前に描いていた...あ…
  • 6
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 7
    トランプ批判で入国拒否も?...米空港で広がる「スマ…
  • 8
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 9
    老化を遅らせる食事法...細胞を大掃除する「断続的フ…
  • 10
    「悪循環」中国の飲食店に大倒産時代が到来...デフレ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 7
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    【クイズ】世界で2番目に「レアアース」の生産量が多…
  • 10
    古代ギリシャの沈没船から発見された世界最古の「コ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中