最新記事
演劇

ミュージカルは「なぜいきなり歌うのか?」...問いの答えは、意外にもシンプルだった

2025年1月9日(木)17時08分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

もっとも、引用した文章のあとには、クルト・ヴァイルの《三文オペラ》とレナード・バーンスタインの《ウェスト・サイド物語》だけは、ミュージカルが苦手な自分でも観ることができたと続く。

わたしが引用した部分は、その結論にいたるための、いわば話のマクラで、この引用で松岡がミュージカルを理解できない、などと非難するつもりはまったくない。ヴァイルとバーンスタインの作品は、人間の本質や社会問題に切り込むような切実なテーマをもっていたという。

つまり、幼稚でなかったのだ。だがその一方で、多くのミュージカルで陽気に歌い踊ることが、どこかばかげた、幼稚なものに見えたのもまた事実なのだろう。

「リアリズム」の魔

冒頭の問い、そして、ミュージカルに違和感をおぼえる理由、その答えはじつのところむずかしくはない。

それはしらずしらずのうちにミュージカルを「リアリズム演劇」と比べていることにある。わたしたちが現在、舞台や映画、テレビやネット配信で親しんでいるドラマのほとんどは、「リアリズム演劇」の延長にある。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロシアの演出家スタニスラフスキーが提唱した「役を生きる芸術」という理論は、演劇に革命をもたらした。

舞台上の登場人物たちは、あたかも現実のわたしたちと同じように生活し、言葉を発しているように演じられなければならない。

舞台と客席のあいだには、目にはみえない「第四の壁」があり、舞台上の俳優たちは、自分たちをみている観客などいないように演じなければならない。それが「リアル」なのだとした。

それまでの演劇は、言葉のリズムを強調するように、「抑揚」をつけて演じられていた。17世紀以来、つねに演劇の演技は「自然」であることが求められたが、それはスタニスラフスキーのいう「リアル」とは異なる。あくまで、詩的な演劇言語の範囲内での自然さである。

たとえば、19世紀の大女優サラ・ベルナールが残した音声を聞いてみるとよい(YouTube にもあがっているし、フランス国立図書館(BnF)のデジタルアーカイヴGallicaで検索してみれば、ラシーヌの『フェードル』などの朗読を聞くことができる)。

その「抑揚」は、今のわたしたちにはおおげさで、文字通り「芝居がかった」口調に聞こえるにちがいない。

また、やはりベルナールが出演したサイレント映画『椿姫』(1912)を見てみると、現実では決してすることのなさそうな大げさな演技である。しかし、それはベルナールが活躍した19世紀の観客にとってはわかりやすく、心を動かすものであったのだろう。

当時の演劇の身ぶりは、わたしたちの生活の描写ではなく、言語と同じような役割をになう指示的な記号だった。だから、動きや表情が大きくなり、定型的な表現を生みだしていく。

スタニスラフスキー流のリアリズムの時代になっても、そうした大げさな身ぶりは、欧米のコメディ映画やアニメのなかに生きのこっている。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

仏ミストラルAI、17億ユーロ調達 ASMLが筆頭

ビジネス

日銀の国債買い入れ、10月に10―25年ゾーンを減

ワールド

米移民当局の日本人拘束を確認、適切に対応=林官房長

ビジネス

アングロ・アメリカン、加テック・リソーシズと経営統
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 3
    エコー写真を見て「医師は困惑していた」...中絶を拒否した母親、医師の予想を超えた出産を語る
  • 4
    石破首相が退陣表明、後継の「ダークホース」は超意…
  • 5
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 6
    ドイツAfD候補者6人が急死...州選挙直前の相次ぐ死に…
  • 7
    もはやアメリカは「内戦」状態...トランプ政権とデモ…
  • 8
    「ディズニー映画そのまま...」まさかの動物の友情を…
  • 9
    ロシア航空戦力の脆弱性が浮き彫りに...ウクライナ軍…
  • 10
    金価格が過去最高を更新、「異例の急騰」招いた要因…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習慣とは?
  • 4
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 5
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 6
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 7
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 8
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 9
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害…
  • 10
    「稼げる」はずの豪ワーホリで搾取される日本人..給…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 6
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 7
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中