最新記事

BOOKS

「物語はイズムを超える」翻訳家・くぼたのぞみと読み解くアフリカ文学の旗手・アディーチェ

2020年1月16日(木)18時00分
Torus(トーラス)by ABEJA

くぼた:アメリカに移民した者どうしが「滞在年数」を競い合っています。イフェメルの内部には違和感がふくらんでいたんですね。「自分ではない何か」に必死でなろうとする人たち、自分もまたそうだったと気づきます。

その後、9.11が起きて、憧れのアメリカへ行けなかったオビンゼが、イギリスに渡って不法労働で捕まり、強制送還される物語があって、ナイジェリアに帰国したイフェメルが大金持ちになったオビンゼと再会する終章へ進みます。

ナイジェリアとアメリカとの関係が物語の中心ですが、イギリスの移民社会のリアルも描かれている。ここでイギリスが入ることで、アフリカ大陸、アメリカ、ヨーロッパが結ばれて「環大西洋」になる。ここは重要なポイントなんです。

「環大西洋」とはかつての三角貿易、奴隷貿易の航路です。「移民」が世界中で問題になっていますが、アフリカからの「移民」に対して、私たちはどんなイメージを持っているでしょうか? そのイメージは、誰の目を通したものでしょうか?

現代の移民たちを、アディーチェは自分たちの物語として内側から描きます。これまで大きな物語では外側から描かれることが多かった人たちの物語のリアルをつむぎ、ここまですっと読者に理解させてしまう作家は、いなかったのではないでしょうか。


「与える側」が見落としていること

アディーチェの思いが圧縮したかたちで出ているのが、冒頭で紹介した「なにかが首のまわりに」です。実は、日本ではこの作品はまず2007年に「アメリカにいる、きみ」(You in America)という題名で訳されたのですが、今回あらたに文庫化されたものでは、結末が書き換えられています。

「きみ」が、母国へ帰るために白人の恋人に別れを告げる場面です。

Torus_kubota06.jpg


きみが泣いているあいだ、彼はきみを抱いてくれた。髪を撫で、きみのチケットを買うよ、いっしょに行って家族に会うよ、と彼はいった。きみは、いいの、ひとりで帰らなければ、といった。もどってくるんだろ、ときくので、きみは自分のグリーンカードが一年以内にもどってこなければ失効することを彼に思い出させた。いってる意味はわかってるんだろ? もどってくるよな? くるよな?
きみは顔をそむけてなにもわなかった。彼がきみを車で空港まで送ってくれたとき、きみは彼を長く、長く、しっかりと抱きしめて、それから手を放した。

(「なにかが首のまわりに」から抜粋)

くぼた:文庫化の前は、見送りに来た彼を、彼女は強く抱きしめて「ありがとう」と言って別れますが、新バージョンでは最後の「ありがとう」が削られています。なぜだと思いますか?

その白人の恋人は、「きみ」と付き合っている間、何度もプレゼントを贈ります。でも、彼女はそのプレゼントがだんだんうれしくなくなっていきます。


きみは彼からのプレゼントに惑わされた。振ると内部でピンクの衣装を着たスリムな人形がスピンする、拳大のガラス球。触れるとその表面が触れたものの色に変わる、キラキラした石。メキシコで手描きされた高価なスカーフ。ついにきみは彼にむかって、皮肉っぽく長く引き延ばした声で、これまでのきみの人生では、プレゼントはいつだってなにかの役に立つものだった、といってしまった。たとえば大きな石、それなら穀物を挽ける。彼は大きな強い声で長いこと笑ったけど、きみは笑わなかった。

(「なにかが首のまわりに」から抜粋)

Torus_kubota03.jpg

くぼた:英語のGift(贈り物)はドイツ語では「毒」という意味なんですね。オランダ語にもgiftig (有毒な)という語があります。

誰かが誰かに一方的に贈り物をするとき、贈る者と贈られる者の間に、ある力関係が生まれていきます。贈る方が上。もらう方は下。親子なら、いずれ関係は変わるけれど、贈る側と贈られる側が入れ替わることがなかったら? それも個人の力量や努力で超えられない理由によって。だとしたらその関係は「対等」ですか?

何かを贈られることによって、受け取る側に積もり積もっていくマイナスの心情があります。弱者がGiftによって受ける傷、屈辱、それをアディーチェは描いています。政治や経済の状況が個人の内部にたてるさざ波を見つめながら、ハードな歴史的事実と個人のソフトで繊細な感覚を巧みに喚起する作品をアディーチェは書いてきました。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米、ロ産原油購入容認を延長の公算 イラン情勢受けた

ワールド

中国がイラン関与なら事態「複雑化」、米USTR代表

ビジネス

米製造業新規受注、2月は横ばい 航空機需要が急減

ワールド

米、停戦合意にレバノン含めるコミットメント順守すべ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプの大誤算
特集:トランプの大誤算
2026年4月14日号(4/ 7発売)

国民向け演説は「フェイク」の繰り返し。泥沼化するイラン攻撃の出口は見えない

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 2
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 3
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国防軍は崩壊寸前」
  • 4
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 5
    目のやり場に困る...元アイスホッケー女性選手の「密…
  • 6
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 7
    「仕事ができる人」になる、ただ1つの条件...「頑張…
  • 8
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 9
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 10
    アメリカは同盟国の「潜在的な敵」となった...イラン…
  • 1
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 2
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 3
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 4
    韓国、生理用品無償支給を7月から開始 靴の中敷きで…
  • 5
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 6
    イラン戦争の現実...アメリカとイスラエル、見え始め…
  • 7
    「考えの浅い親」が子どもに言ってしまっている口ぐ…
  • 8
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 9
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 10
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 5
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 6
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 7
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 8
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中