最新記事

スペイン風邪の悪夢に学べ

迫りくるパンデミック

感染症の新たな脅威が 人類に襲いかかる

2009.05.15

ニューストピックス

スペイン風邪の悪夢に学べ

世界で死者2000万人を出した1918年のスペイン風邪。各国政府の対応が後手に回ればその再現は免れない

2009年5月15日(金)19時01分
アン・アンダーウッド

 「ただのインフルエンザ」にすぎないと、衛生当局は言っていた。だが1918年9月初め、ボストン郊外にあるディベンス米陸軍駐屯地に到着した軍の医療チームは、それが普通のインフルエンザではないことにすぐ気づいた。

 収容人数1200人の駐屯地の病院は6000人もの患者であふれ、予備の部屋や廊下、ポーチにまでベッドが並べられていた。200人いる看護師も70人が病に倒れ、排泄物で汚れた患者のシーツを取り換える者もいない。吐血したり、耳や鼻から出血している患者もいた。

 瀕死の状態に陥った患者は肌がどす黒くなり、医師によれば、白人患者を黒人と見誤ることもあったという。ある医師は、その晩に大勢の兵士が亡くなり、霊安室には遺体が「薪の束のように積まれていた」と報告している。

 ディベンス駐屯地を襲ったのは、世界中で猛威を振るったスペイン風邪だった。この大流行の経緯について解き明かした本が、ジョン・バリーの『恐るべきインフルエンザ――史上最悪の疫病の物語』だ。

人前で咳をしたら懲役1年

 蔓延を抑えようとする科学者の必死の努力にもかかわらず、スペイン風邪ウイルスによる死者は世界中で2000万人を超えた。その大きな要因の一つが、当局の対応の鈍さだった。いたずらに国民を安心させ続けた結果、手遅れになった。

 当時は第1次大戦中で、米軍の司令官たちは医師の訴えを無視し、兵士たちを船で国外の戦地に送り続けた。満員の船内にはウイルスが蔓延し、輸送船は海の棺おけと化した。

 米国内ではパニックが起きた。アリゾナ州のある町は、握手を違法とする条例を制定。ニューヨークでは、人前で口を覆わずに咳をした者に懲役1年と500ドルの罰金を科した。
 こんな悪夢が再現されるおそれはあるのだろうか。鳥インフルエンザがアジア全域に広がりつつある今、スペイン風邪の教訓に学ぶべきものは多い。

 「新たな脅威が発生したら、対応に必要なあらゆるものをWHO(世界保健機関)に与えるとともに、各国政府が迅速かつ誠実に行動しなければ、大流行の再来はほぼ避けられない」と、バリーは懸念する。
 一般に鳥インフルエンザと呼ばれているH5N1型は、今のところ人に対して大規模感染を引き起こすウイルスには変異していない。

鳥インフルエンザとの類似

 だが、インフルエンザウイルスは短期間に突然変異する。人間のインフルエンザにかかった人が鳥インフルエンザに感染した場合には、二つのウイルスが遺伝物質を交換し、危険な新種を生み出すおそれもある。

 スペイン風邪のウイルスも、起源は鳥インフルエンザにあるようだ。先週、サイエンス誌(電子版)に発表された論文によると、スペイン風邪ウイルスの表面のタンパク質の構造は、考えられていた以上に鳥ウイルスに似ていたという。

 「一つのアミノ酸の変化が、人間への感染力を強める決定的な変化だったとみられる」と、研究を行った米陸軍病理学研究所のジェフリー・タウベンバーガーは言う。タウベンバーガーらは、アラスカの永久凍土に埋葬されていた遺体など、スペイン風邪の犠牲者の肺組織からウイルスのRNAを採取。そこからゲノムの75%を解読した。

 通常でも、アメリカではインフルエンザによる死者は年間3万6000人に達する。ここに新たなウイルスが発生すれば、ワクチンや抗ウイルス剤の助けがあるにしても、死者の数はその何倍にも及ぶだろう。

 1918年当時、ある科学者は「あと数週間で文明が消滅してもおかしくなかった」と述べた。そんな危機を、再び招くことがあってはならない。

[2004年2月18日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

G7外相、イスラエル・イラン停戦支持 核合意再交渉

ワールド

マスク氏、トランプ氏の歳出法案を再度非難 「新政党

ビジネス

NY外為市場=ドル対ユーロで約4年ぶり安値、米財政

ワールド

米特使「ロシアは時間稼ぎせず停戦を」、3国間協議へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 8
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 9
    自撮り動画を見て、体の一部に「不自然な変形」を発…
  • 10
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中