コラム

NBA騒動に学ぶ「かんしゃく国家」中国との付き合い方

2019年10月15日(火)16時00分

中国のこの「NBA叩き」はまた、もう1つのより深い米中対立の構図、あるいは国際社会と中国との潜在的な対立の構図を提示している。それは、中国側と「言論の自由擁護」を訴えたNBAのシルバーとのバトルによって鮮明に浮き彫りされている。

「国家の主権」や「民族の尊厳」が中国人にとっての至上価値であるのと同様、言論の自由はまたアメリカ的価値観の中核の1つである。だからこそ、NBAコミッショナーのシルバーは、中国市場の喪失とそれに伴う莫大な経済利益の損失を覚悟の上で、最後の一線で踏み止まって「言論の自由を擁護する」という原則を貫いた。もちろんその背後には、騒ぎの前段におけるNBAの降伏に対する米政界や各界からの批判と圧力もあっただろう。だが、いずれにしても、言論の自由の尊重はアメリカ社会のコンセンサスであり、「核心的価値観」の1つである。

しかし中国側の考え方は違う。中国には「言論の自由」はないし、屁とも思われていない。ましてや「国家の主権」や「民族の尊厳」という「カルト」の前では、言論の自由には毛ほどの価値もない。

実はこのような考え方の相違もまた、米中間に厳存する深層的な対立の一つ、すなわち「価値観の対立」である。解剖学者の養老孟司の言葉を借りれば、要するに米中間の「バカの壁」であろう。だが、このように超えがたい「壁」があるからこそ、NBAと中国との30年以上の良好な関係はただの1件のツイートで崩壊寸前となったのである。

つい近年までは、中国は自分たちの「核心的利益」や「核心的な価値」を死守しながらも、言論の自由を含めた西側の「普遍的価値観」に対してそれほど挑戦的な態度ではなく、「それが中国の実情に合わない」と主張するだけだった。つまり、「あなた方にはあなた方の価値観があって、われわれにはわれわれの価値観がある」という割り切った考えの下で、西側が自分たちの価値観を中国に押し付けるようなことさえしなければそれで良い、との姿勢を貫いた。

しかし習近平政権の下では最近、中国側のこうした姿勢に1つの危険な変化が起きている。中国はもはや、西側からの価値観の押し付けさえなければ満足するのではなく、むしろ自分たちから進んで、西側の価値観に挑戦状を叩きつけるようになったのである。

中国側のNBAのシルバーに対する批判はまさにその典型である。例えばCCTVはシルバーの「言論の自由擁護論」に対し、「言論の自由は絶対的なものではない。国家の主権と社会の安定を犯すような言論は、言論の自由の範疇に属しない」と断じたのは前述のとおりだが、この一言の背後には実に重要なメッセージが含まれている。

中国の特色ある価値観

中国共産党直轄の宣伝機関であるCCTVはここでどういうものが「言論の自由」に属するか、どういうものが属しないのか中国の基準を示している。「国家の主権と社会の安定を犯す言論には自由がない」という、それこそ「中国の特色ある」解釈、あるいは価値観を前面に打ち出しているのである。

問題は、CCTVがこの中国独特の言論の自由の基準が中国国民にだけ適用するものであるとは思っていないことだ。アメリカ人であるシルバーへの批判でCCTVがこれを打ち出したのは、この中国独特の基準をアメリカ人にも適用すべきで、アメリカ人も受け入れなければならない、と考えているからである。

要するにCCTVは、中国独特の言論の自由の基準、すなわち中国の価値観を、アメリカ人に押し付けようとしているのだ。アメリカでどういう言論が自由であるべきかはアメリカ人が決めるのではなく、中国が決めるべきだというのである。

世界最強国のアメリカに対してさえこの態度だから、国際社会にも中国は今後このよう姿勢を強めていくのであろう。中国はもはや経済的・技術的あるいは軍事的にアメリカを圧倒して世界をリードするだけでなく、価値観の面でも中国の基準と考えを世界に強要しようとしているのだ。

中国は自ら、米中間の対立を単なる軍事・技術・経済面の対立にとどまらず、価値観という精神の面にまで拡大し、米中対立をより広範囲で深層的なものに変えようとしている。

そして、中国のアメリカに対するこのような挑戦は、われわれの世界の普遍的価値観、つまりわれわれの文明に対する挑戦でもある。米中対立、そして中国と国際社会の対立は今後、まさに「文明の衝突」の様相を呈していくこととなろう。

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プロフィール

石平

(せき・へい)
評論家。1962年、中国・四川省生まれ。北京大学哲学科卒。88年に留学のため来日後、天安門事件が発生。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。07年末に日本国籍取得。『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞受賞。主に中国政治・経済や日本外交について論じている。

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