コラム

距離が縮まるイラクとサウジアラビア

2017年08月29日(火)13時00分

変化はそれだけではない。アンマールは積極的に、サウディとイランの間を仲介する意思を示し、「トルコ、イラン、サウディを軸とした地域的一体性が保たれなければイラクは安定しない」と述べている(8月4日)。こうした発言が「イラン離れなのでは」との憶測を掻き立て、「アンマールは近々サウディアラビアに招待されるらしい」との推測記事も後を絶たない。

ここで、2番目の出来事が絡んでくる。シーア派イスラーム勢力のなかで常に台風の目、ムクタダ・サドルのサウディ訪問である。イラク戦争直後の激しい反米武力行動や、同じシーア派の宗教権威に対する歯に衣着せぬ批判、無頼ともいえるような下層の若者層を惹きつけるナショナリズムと、大衆へのアピール度は抜群だが、ムクタダ・サドルは、同盟相手にするにはシーア派にとってもスンナ派にとっても、リスクが大きな存在だった。

その「反米・造反有理」で売ってきたムクタダと、親米・保守封建社会のサウディではどうにも結びつきがたい。にもかかわらず、30日にサウディを訪問したムクタダは、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子と会談を行い、サウディアラビアとの関係改善を求める姿勢を示したのである。

このムクタダ・サドルのサウディ訪問は、アバーディ首相のサウディ接近の流れの一環にある。6月にアバーディ自身がサウディを訪問しているし、7月17日には27年振りに両国間国境を開くことが合意された。それを受けて8月15日にはイラク・サウディ間貿易推進のための委員会が設置されるなど、急速にイラク・サウディ関係が改善している。対カタール、対イランなど、最近対外関係で緊張を高めているサウディアラビアの苦境が、その背景にあろう。

【参考記事】モスル奪還作戦、写真で見るISISとの戦いの恐怖

と同時に、イラクはイラクで、イラン・イスラーム革命防衛隊の全面的な協力のもとにIS掃討作戦に尽力してきたバドル機構のような親イラン勢力の発言力の増大を、IS後にいかに制御できるか、という課題を抱えている。アンマールやムクタダやアバーディ首相の共通項は、対IS掃討作戦の立役者である人民動員機構(PMU)に寄せられる「祖国防衛の英雄」という好イメージ・知名度をもとに、バドル機構やサドル派から分派した武装勢力が次期選挙で知名度を上げられては困る、という点だ。

それぞれの政党が、何を打ち出すことが今のイラクで一番票が取れるのか。ISとの戦いで評価を高めた勢力は、協力者としてイランとのつながりを隠そうともしない。逆にそれが気に入らない、という世論のムードを感知する政党は、イラン色を薄めるために、サウディアラビアとイランの対立関係を利用して「中立」的イメージを打ち出す。これまでイラン依存とみなされてきたシーア派イスラーム政党が、イランと距離をおくために、宗派を超えて、サウディアラビア寄りの姿勢を取ろうとしているわけだ。

加えていえば、アンマールのISCI離党の最大の原因は、若いアンマールがISCIの古参幹部と意見が合わなかったことだともいわれている。もう44歳になって政治家としても成熟したとはいえ、ムクタダ・サドルも若者の人気を背景にのし上がってきた。若き皇太子が仕切るサウディアラビアもまた、旧世代からの脱却を課題としている。そんな点も、今の政局を左右する要因の一つなのかもしれない。

ISがいなくなって、中東は安定するのか? 少なくともイラクについてみれば、対ISで統一しているフリをしなくてよくなった分、各政党の合従連衡は、ますます複雑な要素を反映して進行していくのかもしれない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
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