コラム

危機感の発信がカタカナになる日本語の不思議

2020年03月26日(木)19時10分

また「ロックダウン」については、確かに「都市封鎖」で間違いはないのだと思いますが、江戸時代以来「お上の暴虐から庶民は自衛すべき」というカルチャーが残っている東京の「江戸っ子」に対しては、「都市封鎖」という「コワモテ」の表現よりも、欧米で一般的な「ロックダウン」という言い方をした方が、結果的に整然とした秩序が保てるという計算もあったかもしれません。だとしたら、これも実務上、仕方のない判断だと思います。

河野防衛相が挙げていた中では、「オーバーシュート」という言葉は、少々異質です。英語では別に感染症の大規模感染という意味はなく、数値を追っていくうちに異常値として、それまでのグラフの傾向から飛び出すような異常な増加を示すという、もっと一般的な言葉です。

ですが、専門家会議の尾身茂博士は、その緊急性、深刻さを表現するためにある種「劇画的」とも言える「感染爆発」の代わりに、カタカナ言葉としては「新語」とも言えるこの「オーバーシュート」を使ったのだと思います。そうしなくてはならないほど、切迫したメッセージということです。

そんなわけで、こうしたカタカナ語を使った注意喚起というのは、メッセージの緊急性を伝えるためには、日本語の特質をふまえると、一種の必要悪として仕方のない選択のように思われます。

一方で、25日に東京都の小池知事が会見で使用した「感染爆発、重大局面」という表現は修正の余地がありそうです。このパネルを使って発信されたメッセージというのは「このまま事態が悪化して行くと、感染爆発になるかもしれない、だから今はその岐路に立っているという重大な局面だ」という意味だと思います。

ですが、何でもビジュアル化しないとメッセージが伝わらないという方法論から、大きな緑色の字で「感染爆発、重大局面」と出してしまうと、切迫感というより、言葉のインフレ感が強くなって、メッセージは反対に弱くなってしまうし、万が一、次にもっと強いメッセージを出す際の言葉の選択を縛ってしまうようにも思います。

日本語の特質をふまえて効果のあるメッセージを出していくのは、非常に難しい判断になります。感染症や行政の専門家だけでなく、社会言語学などの専門知識も動員して、適切に判断して進めてもらいたいと思います。そして、どんなときでも「もしかしたら誤解を招くかもしれない」と思ったら、言い換えや説明を丁寧に行うことが必要でしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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