コラム

少子化問題その根源を問う(第6回)

2012年07月13日(金)11時30分

 このブログで批判した「国家戦略室」のレポート「フロンティア分科会報告書(案)」で私が驚いたのは、少子化問題と闘う姿勢の欠如です。その一方で「女性の雇用による経済成長」は強く押し出しているので、このままでは家庭生活を軽視した企業の人事制度が放置されたままで、女性の社会進出だけが進行する、その結果として少子化が更に深刻化する危険があるように思います。

 企業の人事制度が家庭や育児に悪影響を与えている、その最たるものは単身赴任制度でしょう。欧米でも中国圏でも見られないこの「反家庭、反育児」カルチャーの象徴というべき制度ですが、まず1980年代に本格化した「クラシック」な方を整理しておくことにします。

 この「クラシック」な単身赴任というのは、フルタイムで管理職もしくは管理職候補の男性が、専業主婦の妻と子供を残して一定期間だけ単身赴任するというものです。70年代までは転勤族といって、必ず家族を連れて赴任していた日本の「サラリーマン」がどうしてこの時期から単身赴任に走ったのかというと、具体的には2つの理由があると思います。

 1つは、持ち家取得が早期化しかつ高額化したことです。社宅カルチャーを嫌うこと、持ち家取得への税制や会社の補助が進んだことなどから家を買うようになったものの、転売価格が低落するためにローンとの相殺ができないので売却が難しいのと、「終の棲家」である以上は空き家にしたり人に貸すのは抵抗感がある、ということから「家を維持したい」という理由が生まれたのです。

 もう1つは、子供の教育です。特にこの時期には「校内暴力現象」などもあって首都圏と京阪神では公立中学での教育が崩壊する一方で、公費による私学助成はふんだんに行われたために、多くの家庭が子供を私立中学に入れるようになりました。そうなると「折角入学したのだから」ということで父親の転勤には帯同させない、結果的に母子は「残る」という選択になったわけです。更には、全国的に教育現場では「転校生とのコミュニケーション能力」も崩壊して行きましたから、私立校の場合でなくても、あるいは小学生の場合でも子供の教育理由での単身赴任というのが一般化したわけです。

 これが「クラシックな単身赴任のパターン」です。個々の家庭においては苦渋の選択であったわけで、一括りに批判して済ますわけには行かないのですが、今から思うと制度的なものを含めてこうしたトレンドを無批判に拡大したというのは、社会全体としては厳しい総括が必要だと思います。

 さて、今でも相当な規模で残っていますが、様々な理由により、このパターンは今後は減ると思います。その代わりに、これからは、この「クラシック」パターンではなく、「ネオ」なパターンが出てくるように思われます。

 それは、子供のいない夫婦で、それぞれが別のキャリア形成に向かっている中で、一方の転勤により自動的に別居状態になるというパターンです。これを「ネオ」なパターンと呼ぶのは、日本の企業や官庁の人事制度を前提に考えると、夫婦がそれぞれにキャリア形成に向かう場合には、この問題は避けられないからです。

 例えば、文部科学省は長い間「夫婦帯同」を原則としていた、海外の「在外全日制日本人学校」や「日本語補習校」への教員派遣を「単身でも可」とすることにしたようです。その理由としては、家族の生活費補助分をカットしてコストダウンをするためというよりも、配偶者にキャリアを中断させることなく教員に海外経験を積ませるためという報道がありました。

 この教員の例だけでなく、民間企業にしても長い間「海外赴任は夫婦で」という原則を持っていたところが多いのですが、昨今は単身を認めている、あるいは夫婦を引き裂いても一方を海外に出すということを始めています。海外うんぬんという以前に、国内での転勤にあたって「配偶者の勤務地を考慮しない」ということは本格化しています。

 しかしながら、よく考えてみると、夫婦が別のキャリアを追求していて、その一方が勤務地の変わる形でステップアップを図るというのは海外でも良くあるわけです。ですが、どうして日本だけが「ネオな単身赴任パターン」に陥ってしまうのでしょうか? 答えは簡単です。日本は終身雇用が残っている一方で、柔軟な労働市場がないからです。

 欧米の場合であれば、例えばニューヨークで別の会社に勤務していた夫婦のうち、妻のほうが「シリコンバレーでの上級管理職のポジションが取れた」となれば、夫の方もカリフォルニアのベイエリアでの仕事を探すのが普通です。また、社内転勤というのは例外です。さらに言えば、大学などの教育機関の場合は、優秀な人材を確保するためには、夫婦セットで採用するというようなこともします。

 夫婦がフルタイムのキャリア形成に向かう、フルタイム雇用には転勤が伴う、終身雇用制のために柔軟な労働市場が形成されていない、こうした条件では「ネオ単身赴任」はどんどん増えるばかりだと思うのです。しかも、クラシックなパターンというのは、子供を産んだ後の話であることが多い一方で、このネオなパターンというのは「まだ子供のいないカップル」を直撃するわけです。

 昇進昇格を人質に取りながら、実質的に居住地の自由選択を奪う終身雇用制度はもう機能しないのです。教育と雇用を密接にし、転職の可能性を高め、夫婦がそれぞれのキャリア形成を「同居を続ける」中で実現できるようにしなければ、いくら産休だとか育休だとか、あるいはイクメンだとか言っても、全くもって現実味は出てこないように思います。政財界は猛省と共に、即座に制度設計に着手すべきです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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