コラム

ショパンコンクール決勝進出ゼロ、「オールジャパン」に再建策はあるのか?

2010年10月25日(月)12時05分

 作曲家ショパンを記念して5年ごとにワルシャワで行われる、ショパン・コンクールは優勝するとほとんど自動的に一流のプロのピアニストとして認められるたいへんに重要な大会です。日本人はまだ優勝者はありませんが、田中希代子さん(10位、第五回)、内田光子さん(2位、第八回)を筆頭に多くの入賞者を出しています。特に1980年の第十回大会からは毎回入賞者を出しており、前回のブレハッチが優勝した十五回大会(2005年)には2名が4位タイに入選しています。

 今年は、そのショパンの生誕200周年記念大会ということで、大変な盛り上がりだったようです。ですが、残念ながら日本人は17名が予選に参加したのですが、6名が二次予選に進んだのが最高で、三次予選にも本選にも誰も進むこともできず、入賞なしという結果に終わりました。ここ30年なかった厳しい状況はどうして起きたのでしょうか? 考えてみれば、ここ数年の日本では、クラシック音楽、とりわけピアノ音楽ということでは『のだめカンタービレ』の人気で裾野も広がっていますし、第八回で2位に入賞している内田光子さんなどは、先輩格のアルフレッド・ブレンデルが引退した今、ベートーヴェンやシューベルトの長大なソナタの演奏では世界の最高峰に立っています。

 また、今回のコンクールで使われたヤマハの新世代の「コンサート・グランド」は、従来の日本製ピアノが避けてきた高音域のブリリアンスを改善して好評だったようです。例えば、優勝したロシアのユリアンナ・アブデーエワさんなどは、一次から最終選考のコンチェルトまでヤマハを弾き通して、大変に効果を挙げていました。内外に「日本のピアノ音楽」が注目される状況は整っていたのです。にも関わらず、二次予選突破がゼロというのは、どういうことなのでしょうか? 日本のピアノ界は、5年後に向けて何をしたらいいのでしょうか? 私はピアノ奏者でも指導者でもありませんが、長い年月を愛好家として過ごしており、その立場と経験から「再建策」についてお話ししてみたいと思います。

 まず、現在のヨーロッパを中心としたクラシック音楽の世界は、いかに「新しい解釈、表現を創造してゆくか?」といういわば「新たな表現主義」の時代に突入しているということがあります。クラシック音楽というのは、過去に評価の確立した楽曲について、これまた過去の名演奏家が膨大な録音を残しているわけです。これからの新しい世代は、そうした「過去の名録音」にはない「何か」を表現することが期待されているのです。また、録音技術は向上し、しかも携帯デジタル再生機などによって、愛好家は簡単に多くの録音に接することができ、好きなときに好きな曲の好きな箇所を聞くことができるようになっています。

 その一方で、演奏家の技術水準はものすごい進歩を遂げていますが、では「もっと上手に」ということで、フィギィア・スケートのジャンプ合戦のような技術革新だけで愛好家の心を満足させることができるかと言うと、実はこれは「ノー」なのです。そこでは、「自分なりのカバーバージョン」をいかに創っていくか、いかに新しい演奏スタイルの個性を「再現可能性」があり、聞き手からの「認知可能性」のある個性として磨いていくかが問われています。

 では、非常に指回りが早くてロマンチックに歌うように弾ければ良いのかというと、ところがこれも違うのです。「新しい表現主義」の時代の愛好家が求めているのは、2つの要素です。1つは「曲の新しいイメージ、魅力を引き出して欲しい。過去の演奏とは明らかに違うスタイルを提出して欲しい」ということであり、2つ目は「その新しいスタイルを音にする表現技術をキチンと高水準で聴かせて欲しい」ということなのです。

 インターネットでの録画を通じて聞いた範囲では、日本勢には残念ながら、こうした「新しい表現主義」の期待感にマッチするような「新解釈」は全く感じられなかったばかりか、かなりのピアノストに共通の欠陥が見られました。「出だしの表現はユニークにしているが、その次のエピソードとの接続の表現が考慮されておらず、聞き手が流れに乗れない」「マズルカとかワルツというショパンの好んで書いた舞曲(の悲劇的なパロディ?)で、メトロノームのような機械的なリズムに陥ってしまい音楽が死んでいる」「(一次通過者の場合など)前半部分は丁寧に造形を創っているが、途中から行き当たりばったりの表現になっている」というようなものです。どうも、全体の様式美を再発見して曲のイメージを造り替えるような「解釈」を試みた形跡はほとんど感じられないのです。これでは、愛好家も、審査員もお手上げです。

 例えば、優勝したアブデーエワさんは、一次予選で作品62の1のノクターン(夜想曲)の冒頭部でミスタッチをやらかしています。ですが、このノクターンは、テンポを落としながら劇性を高めた導入部の造形が大変に魅力的だったのです。そして、劇性を高めた導入部の強い印象と、後半の高速パッセージでの速度超過気味の派手な表現が絶妙なコントラストを見せていて、全体の構成感がオリジナルで効果的だったのです。「いきなりミスタッチをした人が何故優勝?」と思う人(実は彼女は本選のコンチェルトでも冒頭にミスをしています)もあるかもしれませんが、とにかく新しい造形を創り、それを自分で美しいと確信し、その造形を音にするために努力をした結果、聞き手に強い印象を残すことに成功したのです。天才だからではないのです。

 今回のコンクールですが、個人的には二位入賞したリトアニアのルーカス・ゲニウサスさんが印象に残っています。ショパン独特の甘い「サビ」のメロディーに対して、歌を抑制して高潔さを出しておき、同じメロディーの変形された再現の部分で丁寧に「こっちをエモーションのピークにしてもカッコイイよ」というオリジナルなメッセージを出してくる、こうしたアプローチも、正に「新しい表現主義」で嬉しくなってしまうからです。こうした工夫も、是非お手本にして(そのままではなく、アプローチとして)欲しいものです。といっても、「泣かせるためにはサビの歌い回しは抑え気味で」などというのは、日本のカラオケ教室でも普通に教えることで、それほど特別なことではないのですが。

 こうした造形というのは、ポップミュージックのカバーアルバム、あるいはジャズのスタンダードナンバーの演奏、あるいは日本の場合でしたら歌舞伎の役を仕上げてゆく努力などで、芸術家ならみんなやっていることです。継承したものに、自分ならではの造形を考え、その理想型を設計してそれを実現するために表現技術を磨いてゆく、これがパフォーマンス・アーティストに共通の仕事内容だと思うのです。この点が、相当に欠落しているというのは、もしかしたら個々人のピアニストではなく、教育システムに問題があるのかもしれません。どうか、これからの5年間、前途有望な若きピアニストたちに「自分で表現の造形をすること」を教えてあげて下さい。

 ちなみに、アメリカの音楽教育も、特に10代までの教育は体育会系で「造形うんぬん」とは無縁の教育をやっていますから、余り参考にしない方が良いと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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