コラム

アメリカ人に「新幹線」の運行は可能か?

2009年10月23日(金)12時44分

 6月24日のエントリで「お粗末なアメリカの鉄道文化」というお話をしました。この時は、ワシントン郊外で起きた衝突事故の背景を探りながら、運行技術の未熟なアメリカの鉄道事情の紹介をしています。その後、アメリカの鉄道界では、大きな事故のニュースはありません。その一方で、オバマ大統領の「高速鉄道構想」が話題になったり、この計画をターゲットにしたJR東海の葛西敬之会長による日本の新幹線技術売り込みが熱心に行われてもいます。

 今後オバマ政権が「グリーンエコノミー」を推進し、アメリカにおける排出ガス規制の動きが加速するならば、鉄道や高速鉄道への関心は高まるでしょうし、そうなれば日本の新幹線技術を売り込む可能性も出てくるだろう、その可能性は探るべきだと思います。ですが、個人的に、今回トラブルに遭遇した経験から言えば、そう簡単ではないようです。

 というのは、今回日本からの帰途に空港から自分の駅までの短時間に2度も妙な経験をさせられたからです。1つ目は、ニュージャージーのニューアーク空港から、通勤列車の駅を結ぶモノレール(「エアリンク」)での出来事でした。この「エアリンク」線は、非常に単純な作りです。北端が通勤列車「NJトランジット」との連絡駅で、南端にはパーキングの駅があり、その中間にターミナルA・B・Cの駅があるという単純な構造です。モノレールは、連絡駅とパーキング駅の間を行ったり来たりすれば良いのです。ということで、運転はどこかで中央制御されており、車両自体は無人です。

 私は何度もこのモノレールを利用しているのですが、今回は変でした。途中の駅で、駅員に「運転は打ち切りだから降りるように」と言われて「連絡駅まで行くのは次だから」と待たされたのです。「おかしいな」と思いつつ「次」に乗ったら、今度はモノレールは逆走をはじめました。そしてターミナル駅まで戻ったのです。乗客達は、ターミナル駅で駅員に「話が違う」と詰め寄ったのですが、そこの駅員は「このモノレールは南行きだから、連絡駅行きは反対のホームで待て」というのです。結果的にその次に来た「北行き」で目的地に着いたのですが、その間30分以上のロスとなりました。

 何が問題なのでしょう。恐らくこのシステムは基本的にはコンピュータ制御の自動運行だと思います。開業時の報道ではそう聞かされています。ただ、車間が詰まりすぎたり、折り返し線に1本余計にモノレールがいたりすると、衝突や「にらみ合い」を避けるために「マニュアルで」途中で運行を打ち切ることがあるようです。問題は、そうした自動運行とマニュアルが混在した場合に、駅員がトランシーバで「ゴチャゴチャ」喋っている際に情報が錯綜するなど、運用がいい加減だということです。ドキッとしたのは、逆走の際には右側通行のルールを無視してモノレールは複線区間を左側通行していたことです。万が一、マニュアルの例外対応と自動運行が混在するケースで、何か安全装置が壊れていると事故もあり得る、ドキッとしたのはそういうことです。

 もう1つは、通勤線に乗り継いだ後のことでした。私の駅に着いたのは午後11時20分で、労働時間の長くなった昨今のアメリカではかなりの通勤客が乗っていました。ですが、到着の少し前にアナウンスがあり、ドアが前方車両の1カ所しか開かないので降りる客は車両伝いに歩いて前方車両に移動せよというのです。折悪しく、車両は2階建て(カナダのボンバルディア製)で、車両の両端からは下層階にも上の階にも階段があります。スーツケースを持っていた私は汗だくになって移動させられたのでした。

 どうして1カ所のドアしか開かないのかというと、複々線のうちホームのある両側の緩行線は既に深夜のため、検査車両が動いているからです。この時間のこの区間は、ホームのない急行線にしか列車は通せないようでした。そこで急行線に停車したのですが、そこにはホームがありません。そこで、昔の飛行機のタラップを下りる感覚で階段で降ろされるのです。ですが、さすがに枕木とバラスト(砕石)のところへ乗客を降ろすことはできないので、踏切のように人が歩ける部分(1カ所だけ作ってあるのです)に階段を下ろして、そこに下車客を集中させるという運用になっていたのでした。

 まあ、とにかくドタバタした感じで自分の駅までたどり着いたのですが、この程度のことはアメリカの鉄道では日常茶飯事です。前者の「自動制御とマニュアル制御のいい加減なごちゃ混ぜ」は怖い話です。ですが、後者の「前まで歩かされる」というのは「事前に分かっていたことを五分前にアナウンスする」とか「荷物を持った客を含めて車両伝いに延々と歩かせる」ということであって、ある意味ではサービスレベルが低いだけとも言えるでしょう。とにかく、この何ともいい加減な鉄道文化では新幹線は難しいな、正直言ってこれが実感です。

 その背景には2つの問題があります。1つは、乗客が低いサービスレベルにマヒしてしまっているということです。忍耐強いと言えばそれまでですが、それ以上に「サービスにはコストがかかる」ということを骨身に染みて感じているアメリカ人は、逆に高コスト、高サービスの鉄道が運行されたとして、それを喜ばないという可能性もあると思います。今回の2回のトラブルに関しても、怒ったり抗議したりしている人はゼロでした。

 どうして乗客は怒らないのでしょう。モノレールの駅員がいい加減なのは、権限が与えられていないから責任を感じていないのです。アメリカ人は、その無責任ぶりを見てしまうと「ああ、この人に怒ってもダメだな」と思ってしまうのです。基本は自動運行でコストを下げ、警備上の問題で各駅に2人の駅員を配置しているだけというのはミエミエだからです。後者の場合も、深夜に保線検査をしているのは良いとしても、コストの問題で(恐らく同じ要員で緩行線を先に、急行線を後で検査するのでしょう)主要な運行が終わった午前0時以降の時間帯以前に検査を開始しているのだと思います。このケースでも、誰も車掌に文句は言いませんでした。

 厳格な定時運行の思想がない、現場の要員には権限がなく責任意識もない、乗客もそれに慣れっこになっている・・・これがアメリカの鉄道の実態です。仮に新幹線を導入しようとするならば、これとは正反対のカルチャー、つまりソフトの部分を含めて売り込んで行かなくてはなりません。その際に大きな問題になるのが「自分の言われたことしかしない、やってはいけない」という労働慣行でしょう。この労働慣行が新幹線運行の大きなネックになると思います。給与を抑える、権限を与えない、自分の持ち場の仕事しかしない、その結果として、全体の効率は低下し、チームワークが働かず、例外対応時に力が出ないのです。そんなアメリカの鉄道文化と、精緻な日本の新幹線運行システムが出会う時に何が起きるのか? 良くも悪くも国鉄解体に辣腕を振るった実績のある葛西会長には、そんな異文化遭遇のドラマにも飛び込んでいただきたいものです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米金利先物、9月利下げ確率60%に小幅上昇 PCE

ビジネス

ドル34年ぶり157円台へ上昇、日銀の現状維持や米

ワールド

米中外相会談、ロシア支援に米懸念表明 マイナス要因

ビジネス

米PCE価格指数、3月前月比+0.3%・前年比+2
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 5

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 6

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 7

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    「性的」批判を一蹴 ローリング・ストーンズMVで妖…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story