コラム

NYのユダヤ人の上流社会に食い込もうとする悲喜劇、『嘘はフィクサーのはじまり』

2018年10月26日(金)16時35分

第二の理由にあるナチスの憎悪は、宣伝相ゲッベルスの保護下で撮影されたファイト・ハーラン監督の悪名高きプロパガンダ映画『ユート・ジュース』(40)のことを意味しているのだろう。この映画では、ジュースが、支配欲や金銭欲にとり憑かれた狡猾で冷酷で好色な人物として描かれている。だから彼は処刑され、彼に導かれて領内の住人となったユダヤ人たちは追放される。当時、2000万以上の観客がこの映画を見たという。

シダー監督は、そんなジュース・オッペンハイマーの運命や捩じ曲げられた彼のイメージを踏まえてこの『嘘はフィクサーのはじまり』を作り、そこに独自の考察やイマジネーションを盛り込んでいる。

ノーマンを取り巻く状況は、ジュースとはまったく違うように見えるが、実は共通点がある。前掲書によれば、ジュースの運命には、公爵と枢密顧問官たちの対立が大きな影響を及ぼしていた。ノーマンの場合も、イスラエル首相エシェルと彼の失脚を目論む政敵との対立があり、それが彼を追いつめていく。

ジュースの実像をヒントに、複雑な主人公を創造

しかし、そんな巧みな設定よりも重要なのが、人物に対する洞察だ。シダー監督は、ジュースの実像について考えを巡らせ、それをヒントにノーマンという複雑な人物を創造している。

たとえば、孤独と病気だ。前掲書の著者のメッセージには、「ジュースは、エネルギーの破壊的な投入を続けることで頂点に上っていったが、つけは孤独と病気によって支払われることになる」とある。彼は過剰なストレスで胃腸の病にかかり、薬局からたくさんの薬を取り寄せていた。

フィクサーとして飛び回るノーマンの人生にも孤独と病気がある。映画の第一幕にはこんな場面がある。ユダヤ人の大物が開いたパーティに紛れ込もうとして追い出されたノーマンが、シナゴーグを訪れ、その一室でニシンの酢漬けを乗せたクラッカーを食べる。それが彼の夕食らしい。そこに友人でもあるラビが現れると、彼は華やかな食事会に出席した話を始める。嘘はバレバレだが、彼は怯まない。食事会で生まれた人脈について楽しげに語りつづける。頭のなかではそれが現実であったかのように。

また彼は、重度のナッツアレルギーで、いざというときに注射するための薬を持ち歩いている。それ以外にも、不安に襲われたり、緊張したりすると、ジンマシンのような症状が出る。その不安や緊張の原因は、彼が難題を安易に引き受け、先走ってしまうことにあるが、決して悪人とはいえない。

ノーマンとは何者なのか

そして、映画の後半で、ふたりの人物が重要な役割を果たす。これまでノーマンは、人脈を広げるためにアンテナを張り、他者を追い回してきた。ところが、このふたりはノーマンに関心を持つ。

列車のなかで偶然ノーマンと出会ったイスラエル法務省の女性検察官は、誰もがノーマンを知っているのに、誰も彼の素性を知らないことに気づく。ニューヨークのユダヤ人名誉大使として有名になったノーマンに接近してきたフィクサーは、マニュアルでもあるかのようにかつてのノーマンそっくりの話術を使い、人脈を作ろうとする。

ノーマンとは何者なのか。彼に接近してきたフィクサーとどこが違うのか。そこではじめて自身に目を向けたノーマンは、人脈を使ったある賭けに出て、救いを見出すことになる。

《参照/引用文献》
『消せない烙印 ユート・ジュースことヨーゼフ・オッペンハイマーの生涯』ヘルムート・G・ハージス 木庭宏訳(松籟社、2006年)

『嘘はフィクサーのはじまり』
10月27日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
(C)2017 Oppenheimer Strategies, LLC. All Rights Reserved.

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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