コラム

パレスチナ自治区ガザの美容室で、戦闘に巻き込まれた女性たちの恐怖と抵抗

2018年06月22日(金)16時30分

内部に向かって高まる暴力

この光景から筆者が思い出したのは、『中東・北アフリカにおけるジェンダー』に収められた「危機にある男性性――イスラエルのパレスチナ人の事例」のことだ。この論文では、イスラエルのパレスチナ人が、監視や差別などで抑圧され、男性的なパフォーマンスへの道が閉ざされていることの帰結として、内部に向かって高まりを見せる暴力が検証される。それはたとえば、家庭内暴力であり、武器や車、攻撃的な犬などが、男性的な象徴性を担う行動だという。

もちろん、この論文をそのままガザで生きる男性に当てはめるつもりはないが、少なくともこの映画を解釈するヒントにはなるだろう。

ヴィダトは、ライオンや武器で男性性を誇示するアハマドに振り回され、自分を見失っていく。そして、映画の終盤では、アハマドとライオンの運命が象徴的に描き出される。

閉塞状況にある個人の複雑な心理を掘り下げる

さらに、冒頭で薬物依存症になりかけていると説明した女性サフィアや離婚調停中のエフィティカールもまた、自分を見失っている。サフィアは、他の女性たちを傷つけ、感情を逆なでするような発言を執拗に繰り返し、エフィティカールは、自己中心的で傲慢な態度をとりつづける。

そんな彼女たちの行動もまた男性性と無関係ではない。サフィアは、家庭内暴力に苦しめられていることがわかる。エフィティカールは、夫の仕打ちに対して、張り合うことだけで頭が一杯になっている。自分が見えていない彼女たちは、やがてそれぞれに不安げな表情を浮かべながら、鏡に映った自分の顔を見つめることになる。

この映画は、多様な価値観を持つ女性たちを描くだけなく、また男性を単純にハマスやマフィアという図式に押し込んでしまうだけでもなく、閉塞状況にある個人の複雑な心理や関係性を掘り下げているといえる。

《参照文献/記事リンク》
●『中東・北アフリカにおけるジェンダー――イスラーム社会のダイナミズムと多様性』ザヒア・スマイール・サルヒー編著(明石書店、2012年)
●A conversation with Gaza's 'boy wonders' Arab and Tarzan | Mondoweiss
●Tarzan and Arab: the Gaza artists determined to make it against all odds | The Guardian


2018年6月23日(土)より、アップリンク渋谷、新宿シネマカリテ ほか全国順次公開

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国のデジタル人民元、26年から利子付きに 国営放

ビジネス

米中古住宅仮契約指数、11月は3.3%上昇 約3年

ワールド

ロ、ウ軍のプーチン氏公邸攻撃試みを非難 ゼレンスキ

ワールド

ウクライナ「和平望むならドンバス撤収必要」=ロシア
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 5
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 6
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 7
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 8
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 9
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 10
    アメリカで肥満は減ったのに、なぜ糖尿病は増えてい…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 7
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 8
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 9
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story