コラム

パレスチナ自治区ガザの美容室で、戦闘に巻き込まれた女性たちの恐怖と抵抗

2018年06月22日(金)16時30分

兄弟が最初に着手したのは、架空の映画のポスターを制作することだった。最初の短編も、架空の映画の予告編という発想が出発点になっている。しかし、彼らの作品はハマスには歓迎されず、表現が制限される。ガザでは、パレスチナの子供がイスラエル兵から菓子をもらう場面や女性の髪が見える場面があるだけで、上映禁止になるという。

兄弟の作品は海外で注目されるが、それとともに厳しい圧力を受けるようになる。家族まで巻き込まれることを危惧した彼らは、ガザを離れ、ヨルダンのアンマンに拠点を移し、後にパリに移住する。『ガザの美容室』はそのアンマンで撮影された作品だが、ここでは、それよりも前に同じくアンマンで撮影された短編『Condom Lead』にまず触れておきたい。2作品には興味深い共通点があるからだ。

『Condom Lead』では、高層住宅で赤ん坊を育てるそれなりに裕福な夫婦の生活が、台詞をまったく使わずに描き出される。赤ん坊を寝かしつけた夫婦は、ベッドで愛し合おうとするが、どこか遠くない場所で戦闘が始まり、赤ん坊が泣き出す。妻は赤ん坊をなだめに行き、夫は準備してあったコンドームに息を吹き込み、風船を作る。戦闘はその後もつづき、部屋には風船がたまり、夫が外を見ると、街の上空にたくさんの風船が浮かんでいる。

この短編でも、舞台が住居の内部に限定され、閉塞状況がシュールなイメージを駆使して浮き彫りにされるが、もうひとつ見逃せない要素がある。映画の冒頭では、夫婦がそれぞれに鏡の前に立ち、自分を見つめる姿が時間をかけて映し出される。それは彼らが、閉塞状況のなかで自分を見失わないように、常に鏡を必要としていることを暗示しているようにも見える。

mainB.jpg閉塞状況にある個人の複雑な心理を掘り下げる 『ガザの美容室』

自分を見失いかけている女性たち

そんなことを踏まえると、鏡が不可欠の空間で展開する『ガザの美容室』のドラマが、より興味深いものになるはずだ。この映画に登場する13人の女性たちのなかには、戦闘が始まる前から、すでに自分を見失い、あるいは見失いかけている人物たちがいる。

そのひとりである美容室のアシスタントのヴィダトをめぐるエピソードは特に印象深い。彼女は恋人アハマドとの関係に悩み、仕事も手につかない状態に陥っている。彼はマフィアの一員で、武器やドラッグを売りさばくばかりか、つい最近、動物園からライオンを盗み出したことでハマスからマークされている。

そこで注目したいのが、このアハマドの行動だ。携帯でヴィダトから別れ話を切り出された彼は、美容室の入口の前にライオンを置き去りにし、自分は少し離れたところから銃を抱えて高みの見物を決め込む。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、ウォルツ大統領補佐官解任へ=関係筋

ビジネス

物言う株主サード・ポイント、USスチール株保有 日

ビジネス

マクドナルド、世界の四半期既存店売上高が予想外の減

ビジネス

米KKRの1─3月期、20%増益 手数料収入が堅調
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 5
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 6
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 7
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 8
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 9
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 9
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story