コラム

よみがえったヒトラーが、今の危うさを浮かび上がらせる

2016年06月16日(木)16時30分

『帰ってきたヒトラー』(C) 2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

<現代にタイムスリップしたヒトラーがモノマネ芸人として大ブレイク。何も変わらないヒトラーは、全てが変わった現代社会で、再び民衆の支持を集め始める...>

ヒトラーが現代に甦り、モノマネ芸人として大ブレイク

 独裁者アドルフ・ヒトラーが現代のドイツに甦り、モノマネ芸人と誤解されてテレビの世界で大スターになっていく。そんな大胆不敵な小説が2012年にドイツで出版され、ベストセラーになった。著者は大学で歴史と政治を学び、ジャーナリストやゴーストライターとして活動してきたティムール・ヴェルメシュ。日本でも2014年に『帰ってきたヒトラー』として出版された。

 デヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』は、物議も醸したこのベストセラーの映画化だ。物語は、1945年に死亡したはずのヒトラーが、2014年のベルリンで目覚めるところから始まる。通行人たちは、急変した世界に戸惑うヒトラーを、コスプレしたモノマネ芸人だと思って面白がる。

 リストラされたTVディレクターのザヴァツキは、この自称ヒトラーに目をつけ、彼をTV局に売り込んで自らも復帰を果たそうとする。バラエティ番組に登場したヒトラーは、ドイツ社会の現状を舌鋒鋭く批判して注目を浴び、さらにYouTubeで話題が広がり、大ブームを巻き起こしていく。

 タイムスリップのショックを乗り越え、現状を把握しようとするヒトラーと、彼を筋金入りの芸人だと思い込む人々の間に生じる認識のズレの数々はたまらなく可笑しい。しかし、ヒトラーがのし上がっていくに従って、こちらの居心地が悪くなり、安易には笑えなくなる。そして、作品の狙いが見えてくる。

ドキュメンタリーも取り入れ、「国民の責任論」を浮かび上がらせる

 『顔のないヒトラーたち』をコラムで取り上げたときに書いたように、戦後のドイツ人は、ヒトラーという悪魔と、悪魔に利用された人の好いドイツ人の間に一線を引くことで過去を清算しようとした。しかし、事実は違った。筆者がすぐに思い出すのは、ロバート・ジェラテリーが、独裁と同時に国民の支持も望んだヒトラーと国民の関係を豊富な資料を基に検証した『ヒトラーを支持したドイツ国民』のことだ。

 なかでもここで特に注目したいのは、1933年のヒトラーによる権力の掌握だ。彼は、国際連盟脱退の賛意を問う国民投票と選挙を行い、その両方で圧倒的な勝利を収めた。ジェラテリーは、他の政党が非合法化されていたことや反対を示す無効票も踏まえたうえで、以下のように書いている。


 「それでも大多数がナチに投票したことに変わりはない。それも人びとは新聞で読んだり口伝えで聞いて、国家秘密警察や強制収容所や政府先導のユダヤ人迫害などを知ってのうえだった。この国民投票と選挙は、いみじくも『ヒトラーの正真正銘の勝利』といわれ、『巧みな操作と自由の欠如を考慮しても』、この瞬間に『ドイツ国民の圧倒的多数がヒトラーを支持した』という事実は争えない」

 『帰ってきたヒトラー』の原作者ヴェルメシュと映画の監督・脚本を手がけたヴェンドは、どちらもこの1933年の権力掌握を強く意識している。小説では、ヒトラーの秘書になった若い女性が、ある出来事をきっかけにナチスを<ブタ>と呼んだときに、ヒトラーが以下のように語る。


 「一九三三年には国民はだれひとり、巨大なプロパガンダ的な行為で説得させられてはいない。そして総統は、今日的な意味で<民主的>と呼ぶほかない方法で、選ばれたのだ。自らのヴィジョンを非の打ちどころがないほど明確に打ち出したからこそ、彼を、人々は総統に選んだ」「真実は、次の二つのうちのひとつだ。ひとつは、国民全体がブタだったということ。もうひとつは、国民はブタなどではなく、すべては民族の意志だったということだ」

 この小説と映画の大きな魅力は、ヒトラーを単純に悪魔や怪物にはせず、奇想天外な設定と展開を通して、予想もしないかたちで「国民の責任論」を俎上に載せてしまうところにある。しかし映画にはさらに、原作にはない独自の発想や視点が盛り込まれている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米新規失業保険申請、3.3万件減の23.1万件 予

ビジネス

英中銀が金利据え置き、量的引き締めペース縮小 長期

ワールド

台湾中銀、政策金利据え置き 成長予想引き上げも関税

ワールド

UAE、イスラエルがヨルダン川西岸併合なら外交関係
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 3
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story