コラム

健全財政という危険な観念

2017年06月26日(月)17時50分

この国民福祉税という増税構想は、細川政権の官房長官であった武村正義などの反対によって撤回された。そして、細川連立政権は、それによって崩壊した。しかし、大蔵省は増税を決して諦めはしなかった。細川政権の崩壊を受けて、1994年6月に村山富一連立政権が誕生し、自民党が与党に復帰した。この村山政権では、将来的に消費税を3%から5%に引き上げることが内定された。そして、1996年1月には橋本龍太郎政権が誕生し、結局はこの政権の手によって1997年4月の消費税増税が実行されたわけである。

この橋本政権の増税によって、日本経済は戦後最悪の景気後退に陥った。それは、1996年頃までの緩やかな景気回復の中でそれなりに消化されているようにも見えた金融機関の不良債権が、景気の悪化によって一気に表面化したからである。その結果、1997年末から1998年にかけて、日本を代表する金融機関のいくつかが破綻した。そのようにして生じた金融危機は、速水優総裁下の日本銀行の稚拙な対応もあって、その後の日本経済に、現在にまでいたるデフレというやっかいな病を定着させる契機となったのである。

橋本政権は結局、これによって崩壊した。そして不況の最中の1998年7月に、小渕恵三政権が成立した。小渕政権は、橋本政権時の財政スタンスを180度転換し、不況克服のための財政拡張政策を行った。その結果、景気悪化による税収減も重なって、日本の財政赤字は急激に拡大した。

小渕は1999年11月に、松山市で開かれたあるシンポジウムで、「日本の総理大臣である自分は世界一の借金王になった」と自嘲気味に発言した。日本の財政破綻の可能性がメディアや経済論壇で盛んに論じられようになり、財政破綻や国債暴落を煽る書物が経済本の一大ジャンルになるのは、主にこの時期以降のことである。

日本の財政が問題視されるにいたった以上のような経緯は、日本の財政状況の悪化とそれによる財政破綻懸念を生み出した最大の原因は、皮肉にも財政健全化を目的として実行された橋本政権による1997年の消費税増税であったことを明らかにしている。確かに、財政赤字を拡大させる政策を実行したのは、橋本ではなく小渕である。しかし、日本経済が最悪の経済危機に落ち込んでいる以上、小渕であれ誰であれ、橋本を引き継いだ政権に財政拡張以外の選択肢は政治的に存在しなかった。そして、そのような状況を作り出したのは、明らかに橋本政権による無用な消費税増税だったのである。

ますます危機から遠ざかってきた国債市場

こうして、「日本の財政危機」は、ある種の国民的な共通観念となった。しかしながら上述のように、それは元々、日本の財政は危機的であるというプロパガンダに基づいて実行された財政緊縮策の結果にすぎなかったのである。これは要するに、危機という観念が現実そのものをより危機に近づける方向に動かし、それが危機という観念をより強めるという、観念の悪循環である。それは、火の中に飛び込む夏の虫のように、「真の危機」を自らたぐりよせているようなものである。

幸いなことに、財政破綻なる観念の拡大にもかかわらず、現実の日本経済には、その危機の気配すら存在しない。というよりもむしろ、少なくとも国債市場の状況から判断する限り、国債暴落といった事態からはますます離れつつあるとさえいえる。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 3
    受け入れ難い和平案、迫られる軍備拡張──ウクライナの選択肢は「一つ」
  • 4
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 5
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    【揺らぐ中国、攻めの高市】柯隆氏「台湾騒動は高市…
  • 8
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 9
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 10
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 7
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 8
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 9
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story