コラム

幻の名画『北京の自転車』

2010年06月14日(月)15時44分

 山西省から北京に出稼ぎにやって来た農民工の小貴(シアオクイ)は、自転車宅配便の仕事を見つけた。会社から配達用に支給されたのは、これまで見たこともない新品のマウンテンバイク。1件配達するごとに小貴が受け取る10元(130円)を600元(7800円)分積み立てると、自転車は小貴のものになる。

 あと1回配達すれば自転車は小貴のものになるというその日、自転車は盗まれる。血眼になって町中を探す小貴。肝心の配達を忘れていたことに気づいたときには受け取り先の会社の門は閉じられ、小貴は社長からクビを言い渡される。

 17歳の高校生、小堅(シアオチエン)は、父親に内緒で中古の自転車を買った。父のへそくりを勝手に使ったのは、名門校に合格したら自転車を買ってくれるという約束を、家計の事情で反故にされたと感じたからだ。

 今までは同級生がマウンテンバイクの曲乗りで遊んでいても指をくわえて見ているだけだったが、これで引け目に感じることもない。自転車をきっかけに彼女も出来そうだ。すべてが順風満帆に思えた。小堅の自転車が自分の盗まれたマウンテンバイクだと小貴が突き止めるまでは――。

 実話ではない。中国第6世代の監督、王小帥(ワン・シアオショアイ)がメガホンを取った『北京の自転車』(2000年、原題・十七歳的単車)のストーリーである。

main.jpg

 筆者が初めてこの映画を見たのは、02年の北京だった。映画だが、しかも10年前の作品だが、農村vs都市、金持ちvs貧困層という中国社会が抱えるテーマは、今もまったく古さを感じさせない。広東省のiPhone請け負い工場で5月に起きた出稼ぎ労働者の連続自殺の原因は定かではないが、自殺者はいずれも25歳以下の若者だった。その姿は小貴に重なる。

 出色なのは、農村と都市という中国社会が抱える対立軸をテーマに据えながら、決して単純な対立の描写に終始していないところ。名門校に通う小堅の家は必ずしも裕福でなく、金持ちの同級生に引け目を感じている。小貴がぼんやり憧れるマンション暮らしの「窓辺の女」(演じるのは周迅[チョウ・シュン]だ)は、実は主人の留守中に勝手に服を着ている農村出身の家政婦である。

 小貴はもちろん悪くない。盗品と知らずに買った小堅も悪くはない。小堅の親が自転車を買い与えてやれなかったのも、妹の学費を捻出するため。おそらく最初に自転車を盗んだ者も、生活に追われてやったのだろう。

 現実社会に「100%の悪者」はそういない。噛み合わない歯車の小さなズレが、往々にして大きな矛盾を引き起こす。巧みな人物設定を積み重ねることで、王小帥は説得力のある中国社会の「リアル」をわれわれに提示している。

 希望もある。映画の中で王小帥は、どちらの自転車か力づくで決めようとする小貴と小堅に、意外な解決法を実践させている。ぎこちなく握手する小貴と小堅の姿を通じて王監督が示したかったのは、中国社会が向かうべき「都市と農村の和解」のはずだ。

 01年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞したのに、配給元の事情で日本では公開されなかった。日本人にとって「幻の名画」になっていたが、7月24日から東京・新宿のK's cinemaで始まる「中国映画の全貌2010」の中で記念公開されることになった。

 オリンピック開発で壊される前の胡同(フートン)は美しい。中国人俳優たちも素晴らしい(特に小堅役の李濱[リー・ピン]!)。見て損はないと思います。

――編集部・長岡義博

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

台湾総統、強権的な指導者崇拝を批判 中国軍事パレー

ワールド

セルビアはロシアとの協力関係の改善望む=ブチッチ大

ワールド

EU気候変動目標の交渉、フランスが首脳レベルへの引

ワールド

米高裁も不法移民送還に違法判断、政権の「敵性外国人
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 2
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体」をつくる4つの食事ポイント
  • 3
    「見せびらかし...」ベッカム長男夫妻、家族とのヨットバカンスに不参加も「価格5倍」の豪華ヨットで2日後同じ寄港地に
  • 4
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    Z世代の幸福度は、実はとても低い...国際研究が彼ら…
  • 9
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 10
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 3
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 4
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 5
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 6
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 7
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 8
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 9
    首を制する者が、筋トレを制す...見た目もパフォーマ…
  • 10
    上から下まで何も隠さず、全身「横から丸見え」...シ…
  • 1
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大ベビー」の姿にSNS震撼「ほぼ幼児では?」
  • 4
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 5
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 6
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 7
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 8
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story