コラム

マザー・テレサの救貧院に政治的圧力──インドで見られる「弱さの玉突き」

2022年01月06日(木)13時00分

マザー・テレサに対しては、その生前から賞賛と同じくらい批判がつきまとった。当時、欧米のリベラル派からは「慈善は対処療法にすぎず、貧困を生み出す社会構造への批判がない」といった攻撃もあった。

しかし、近年ではインド国内からの批判の方が目立つ。インド出身のジャーナリスト、クリティカ・ヴァラガーは2016年の論考「マザー・テレサは聖人ではなかった」で、改宗の強制疑惑、ハイチの独裁者から勲章を授与されたこと、質の悪い医療といった理由をあげてマザー・テレサが「慈善の金を第三世界に浪費した典型的な白人だった」と断定した。そのうえで、ローマ・カトリック教会とメディアが'聖女'のイメージを作り出したことは「我々を助ける白人は特別な存在」と思わせることでインドの精神を傷つけたとも非難している。

ヴァラガーの見解をここで詳しく検討する余裕はないが、熱帯地方に移り住んだ白人の没我的な慈善が白人世界から惜しみない賞賛を集める一方、現地からほとんど理解されないことは、他にもあったことだ。

20世紀初めに西アフリカのガボンで宣教と現地人の治療に生涯を捧げたアルベルト・シュバイツアーは欧米で'密林の聖者'と称えられたが、現地では変人とみなされやすかった。シュバイツアーが電気など文明の利器の使用を禁じたことがその一因で、ガボンの初代大統領は「シュバイツアー?あれは頭のおかしな、中気の老人だった」とこき下ろしている(伊藤正孝.1985.『アフリカ33景』.p52)。

精神的独立を目指すうねり

こうした論調の背景には、「情け深い白人に導かれる無力な有色人種」という構図そのものへの拒絶がある。もっとも、こうした議論は彼ら/彼女らの自己犠牲を過小評価し過ぎる点で、逆に現地の受け止めを無視しがちな欧米の一般的論調とはネガポジの関係にあるといえるかもしれない。

ともかく、ここでのポイントは、ヴァラガーのように「強者」である欧米の無意識の優越感を拒絶する議論が現代のインドで珍しくない、というより以前より高まっていることだ。

途上国では経済成長や権利意識の向上とともに、欧米から精神的独立を目指すうねりがあるが、インドはとりわけそれが目立つ。「白こそ美しい」という暗黙の想定を含む美白クリームへの拒絶反応がいち早く生まれたのがインドだったことは、その象徴だ。

だとすると、インド政府が海外からの献金を理由に「宣教者会」の口座凍結を命じたことは、「インドを虐げてきた」欧米の影響からぬけ出そうとするナショナリズムの高まりを反映したものといえる。

弱さを憎む弱者

ただし、強者による差別や抑圧を拒絶することは、結果的には次の弱者を生むことにもなり得る。ナショナリズムの高まるインドでは、与党インド人民党(BJP)が「インド人=ヒンドゥー教徒」の図式を強調するのと比例して、少数派である異教徒への迫害が増加しているからだ。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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