コラム

「トランスジェンダーであるだけで殺される国」パキスタンに「LGBT法」成立

2018年05月24日(木)14時24分

その後、パキスタンでは「日陰者」と扱われてきたトランスジェンダーの認知度は改善していきました。2016年6月にはイスラーム聖職者の団体がトランスジェンダーの結婚がイスラームの教義にかなっているという判断を示しました。2018年3月には民放TVが同国初のトランスジェンダーのニュースアンカーとして、マルビア・マリク氏を起用。翌4月には、同国で初めてトランスジェンダー向けの学校も開設されました(イスラーム圏では学校や教室が性別ごとに分かれていることが一般的)。

パキスタン初のニュースアンカー、マルビア・マリク


ただし、制度を変えても人間の発想を急に切り替えたり、長年の偏見を一朝一夕になくすことは困難です。2013年5月に首都イスラマバードでトランスジェンダー(女性)が性的暴行を受けた際、警察は事件として扱うことを拒絶しました。同様に、最高裁判決の後も、トランスジェンダーが公権力から無視される状況に大きな変化はなく、ハラスメントや暴力も絶えませんでした。その結果、法的保護を求める声が大きくなったことが、トランスジェンダー法の成立に結びついたのです。

役割を放置する政治

個人の権利は、公的機関によって、法に基づいて保護されることで、実質的なものになります。言い換えると、個人的な事柄である性は、公的な事柄として扱われることで、その権利が保護されるといえます。パキスタンのトランスジェンダー法は、性を理由に人間としての権利が認められない状況を、国家が改善する取り組みです。

一方、日本では大きな反対がないにもかかわらずLGBT保護の法案が成立しないままで、同性婚も国レベルでは認められないままです。これは先進国のなかでも数少ない例外です。

自民党が提示しているLGBT法案は、「国民が多様性を尊重できることを促す」とありますが、性的少数者への差別の禁止などは含んでいません。これは性に対する個々人の認識を尊重するという意味で性を「私事」の領域にとどめる一方、国家が性的少数者の権利を守るという意味で「公事」として扱うことに慎重な立場といえます。

しかし、公権力に保護されることで、個人の権利が初めて実質的なものになることは既に述べた通りです。その意識を欠いた自民党案は、形式上はともかく、実際には少数者の権利保護に消極的といわざるを得ません。

「自分で自分の一生を選び取れる社会を作ること」が政治の役割なのだとすれば、現在のトランスジェンダーをめぐる日本の状況は、政治がその役割を放置しているといえるでしょう。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。


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プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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