コラム

「圧倒的なリアルはびくともしない」ご都合主義も吹き飛ばす骨太な映画『やまぶき』

2022年10月21日(金)14時10分
やまぶき

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<韓国で乗馬競技のホープだったユン・チャンスが岡山県真庭市で暮らしている理由も、女子高生の山吹が「サイレントスタンディング」に参加した理由も分からない。「ご都合主義」「荒唐無稽」というフレーズをはめることもできるが、この映画においては気にならない>

公開前の作品について書くことは難しい。どうしても寸止めになってしまう。だから以下は、『やまぶき』の公式サイトに書かれたストーリーに、僕が多少の手を加えた要約だ。

かつて韓国の乗馬競技のホープだったユン・チャンス(カン・ユンス)は、父親の会社の倒産で多額の負債を背負い、今は岡山県真庭市で暮らしている。非正規雇用の他の外国人労働者たちと共に採石場で働くチャンスは、日本人女性である美南(和田光沙)とその幼い娘と3人で暮らしている。

生活は決して楽ではない。肩代わりした借金の返済も大変だ。でも誠実な勤務態度を社長や他の社員たちに認められたチャンスは、正社員への登用を伝えられる。喜ぶ3人。しかしその直後、あり得ないほど不運な事故がチャンスを襲う。

同じ市内で刑事の父と2人暮らしの山吹(祷キララ)は高校生。ジャーナリストだった母親は、内戦中のシリアで取材中に亡くなったらしい。現政権に批判的な市民たちの無言の抗議行動「サイレントスタンディング」に参加していた山吹は、やがて独りでプラカードを手に交差点に立ち始める。

同じ街に住みながら、この2人に接点はない。しかしあり得ない偶然が起きる。その展開について、「ご都合主義」や「荒唐無稽」というフレーズをはめることは可能だ。いわばストーリーが展開に従属している。チャンスが岡山県に居住している理由についても映画は語らない。山吹がサイレントスタンディングに参加していた理由もよく分からない。

でもこの映画については、その「ご都合主義」や「荒唐無稽」が気にならない。なぜなら映画を構成する多くのディテールが、圧倒的なほどにリアルなのだ。

だから思う。映画的ファンタジーとは、そもそもがご都合主義であり荒唐無稽なのだと。誰かの日常をそのまま素描しても映画にはならない。ドラマとは嘘をつくこと。あり得ないことをリアルに感じさせること。

本作はまさしくその典型だ。ご都合主義的で、B級映画のように造形されたヤクザたちの存在も気にならない。言葉にすればなんだろう。骨格が太くて強いのだ。俳優たちもみな素晴らしい。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏の出生権主義見直し、地裁が再び差し止め 

ワールド

米国務長官、ASEAN地域の重要性強調 関税攻勢の

ワールド

英仏、核抑止力で「歴史的」連携 首脳が合意

ビジネス

米エヌビディア時価総額、終値ベースで4兆ドル突破
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、「強いドルは終わった」
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 5
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 6
    アメリカの保守派はどうして温暖化理論を信じないの…
  • 7
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 8
    アメリカを「好きな国・嫌いな国」ランキング...日本…
  • 9
    【クイズ】日本から密輸?...鎮痛剤「フェンタニル」…
  • 10
    昼寝中のはずが...モニターが映し出した赤ちゃんの「…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 7
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 10
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story