コラム

年老いた母を撮って内省、『スープとイデオロギー』で監督ヤン ヨンヒが願うのは

2022年06月23日(木)15時10分
『スープとイデオロギー』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<韓国ではなく北朝鮮を選んだ両親、「帰国」した兄たち、父と母の半生に批判的になる自分──ヤン ヨンヒの『スープとイデオロギー』は極めて内省的なドキュメンタリー>

2014年、平壌に滞在して3日ほど過ぎた頃、よど号メンバーたちとカラオケに行った。

よど号メンバーとは、1970年3月に日本航空351便(よど号)をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍派を示す。当時は9人だったが、この半世紀の間にリーダーの田宮高麿を含めて5人が他界している。

彼らが居住する平壌郊外の「日本人村」(通称)に僕は宿泊し、およそ1週間、寝食を共にした。ハイジャックの総括、北朝鮮の現状、日本のこと。いろいろ議論した。

彼らは今、自分たちの過ちに気付き、日本に戻って罪を償いながら残りの人生を過ごしたいと願っている。でも日本と北朝鮮の現在のねじれた関係が、それを不可能にしている。

カラオケの各部屋には、担当の若い女性がアテンドとして待機していた。デュエットも可能だが、僕はカラオケが苦手だし、よど号メンバーも女性の誘いになかなか応じない。誰かが女性に言った。あなたが歌ってください。女性は歌った。金正恩(キム・ジョンウン)をたたえる歌。みんなは沈黙した。歌いながら彼女は、感極まったように涙ぐんでいる。歌い終わった彼女に僕は聞いた。金正恩は好きですか。バカな質問だ。嫌いですと答えるはずがない。でも涙ぐんでいた彼女は、にっこりと笑いながら、こころもち首を傾げた。ノーなのか、イエスなのか分からない。

今は思う。人の内面は複雑だ。民族や言語や信仰が違っても、人の内面は変わらない。でも国家は国民に単純さを要求する。まるで国境線が引かれているかのように、忠誠や愛国などのラインを国民に強要する。

こうして国家の争いが起きるとき、人は他者の集団を自分たちとは違う存在なのだと思い込む。だからこそあり得ないほどに残虐になり、取り返しのつかない事態が起きる。

映画監督ヤン ヨンヒの両親は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の熱心な活動家だった。「帰国事業」で3人の息子を北朝鮮へ送り、父が他界した後も「地上の楽園」にいるはずの息子たちに、母は借金をしてまで仕送りを続けていた。

最新作のドキュメンタリー『スープとイデオロギー』で、ヨンヒは年老いた母をいたわりながら、父と母の半生に対して批判的になる自分を隠せない。なぜ戦後に韓国ではなく北朝鮮を選択したのか。なぜこれほどまでに「北」を信じられるのか。

その母がアルツハイマー病になった。記憶が急激に薄れてゆく。ヨンヒは母を、日本に来てからは一度も帰っていない生まれ故郷の韓国・済州島に連れて行くことを決意する。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:米とイスラエル、イラン攻撃で目標にずれ 

ワールド

イラン攻撃は「ロシアンルーレット」、 スペイン首相

ワールド

焦点:イラン戦争で米の対中防衛手薄になるか、同盟国

ビジネス

台湾の輸出受注、1月は60.1%増で過去最高 AI
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 2
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズった理由
  • 3
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られる」衝撃映像にネット騒然
  • 4
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 5
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び…
  • 6
    核合意寸前、米国がイラン攻撃に踏み切った理由
  • 7
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 8
    人気の女性インフルエンサー、「直視できない」すご…
  • 9
    イランへの直接攻撃は世界を変えた...秩序が崩壊する…
  • 10
    「外国人が増え、犯罪は減った」という現実もあるの…
  • 1
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからくりとリスク
  • 2
    村瀬心椛は「トップでなければおかしい」...スノボの謎判定に「怒りの鉄拳」、木俣椋真の1980には「ぼやき」も
  • 3
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 4
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 5
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
  • 6
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 7
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 8
    少女買春に加え、国家機密の横流しまで...アンドルー…
  • 9
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 10
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 7
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story